◎教皇連続講話「使徒的熱意について」② 「教会は、迷い出た人たちを探すように求められている」 File photo of Pope Francis at the weekly General Audience (VATICAN MEDIA Divisione Foto) (2023.1.18 Vatican News Francesca Merlo) 教皇フランシスコは18日の水曜恒例一般謁見で、先週お始めになった「使徒的熱意について」の講話を続けられ、「善い羊飼いーイエスに倣い、群れから迷い出ていった羊を”敵”と見なさず、主の喜びを証しする機会と見るように」と、すべての信徒たちに勧められた。 *イエスは常に「外に出ていく方」 講話で教皇はまず、クリスマスの福音がイエスを「神の言葉」と定義していることに注目され、「この事実はイエスの本質的な側面、つまりイエスが常に『外に出ていく方」であることを明確にしています」と述べられた。 そして、「御言葉は知らされ、伝えられるために存在し、キリストは命の言葉を持っておられるだけでなく、ご自分の生きざまを言葉にされています」とされ、「私たちは、福音を通して、特にイエスの祈りを通して、イエスと御父との親密さを見ています。そして、祈りの後に、イエスはすべての決断、重要な選択をなさいます。祈りを通して、イエスはご自分の使命を明らかにされるのです」と指摘。 さらに、「イエスの奉仕は、常に他者に向けられています。『私は、仕えられるために来たのではなく、仕え、自分の命を与えるために来た』とご自分で言われたようにです」と語られた。 *「善い羊飼い」に倣う また教皇は、イエスが「善い羊飼い」と呼ばれていることについて、「福音は、イエスの使命が真に意味するものを表すのに役立つイメージを提供してくます」とされ、「”羊飼い”には、単にその役割を果たすだけでなく、時間と多くの献身が必要でした。 それは、1日24時間、群れと共に生きる、真の正しい生き方でした。そして、イエスは私たちのために命をくださったのです」と強調された。 さらに、「使徒的熱意を鍛えようとするなら、迷い出ていった羊のことを常に考えねばなりません」とされ、福音で「迷い出た羊」についてイエスが語られた箇所で「私たちが知るのは、神が、羊を囲いの中に閉じ込めたままにしたり、群れから外れないように脅すことはされない、群れから離れたり、迷ってよそに行ってしまったら放っておかず、探しに出て行かれる、ということです」と説明。 「神は、迷わずにいる 99 匹の羊たちを置いて、迷い出た羊を探しに出かけられる、というリスクを伴う不合理なことをなさいます。それは、自分のもとを去った人を惜しむ神の”司牧者の心”です。怒りや恨みではなく、 私たちへの純粋な思い、神の熱意です」と説かれた。 *群れを離れる人を見たら証しする機会に 講話の最後に教皇は、人々に「私たちは、このような神と同じ思いを感じますか?」と問いかけられたうえで、「私たちの人生で、群れを離れたように見える人たちを”敵”と見なすことがあるかも知れません… だが、そうした人たちを愛し、決して忘れない父の喜びを、彼らに証言する機会とするように」と勧められ、「彼らにとって良い知らせがあり、私たちは、それを伝える名誉と重責を担っている。なぜなら、御言葉であるイエスが、私たちにそうすることを求めておられるからです」と教皇は強調しました。 そして、祈りの中で、次のように締めくくられたー「私たちは、司牧者の心の恵みを願います。苦しみとリスクを引き受けるそのような愛なしには、自分たちだけを養うリスクを冒すからです」。 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二) ツイート
File photo of Pope Francis at the weekly General Audience (VATICAN MEDIA Divisione Foto) (2023.1.18 Vatican News Francesca Merlo) 教皇フランシスコは18日の水曜恒例一般謁見で、先週お始めになった「使徒的熱意について」の講話を続けられ、「善い羊飼いーイエスに倣い、群れから迷い出ていった羊を”敵”と見なさず、主の喜びを証しする機会と見るように」と、すべての信徒たちに勧められた。
*イエスは常に「外に出ていく方」 講話で教皇はまず、クリスマスの福音がイエスを「神の言葉」と定義していることに注目され、「この事実はイエスの本質的な側面、つまりイエスが常に『外に出ていく方」であることを明確にしています」と述べられた。 そして、「御言葉は知らされ、伝えられるために存在し、キリストは命の言葉を持っておられるだけでなく、ご自分の生きざまを言葉にされています」とされ、「私たちは、福音を通して、特にイエスの祈りを通して、イエスと御父との親密さを見ています。そして、祈りの後に、イエスはすべての決断、重要な選択をなさいます。祈りを通して、イエスはご自分の使命を明らかにされるのです」と指摘。 さらに、「イエスの奉仕は、常に他者に向けられています。『私は、仕えられるために来たのではなく、仕え、自分の命を与えるために来た』とご自分で言われたようにです」と語られた。
*「善い羊飼い」に倣う また教皇は、イエスが「善い羊飼い」と呼ばれていることについて、「福音は、イエスの使命が真に意味するものを表すのに役立つイメージを提供してくます」とされ、「”羊飼い”には、単にその役割を果たすだけでなく、時間と多くの献身が必要でした。 それは、1日24時間、群れと共に生きる、真の正しい生き方でした。そして、イエスは私たちのために命をくださったのです」と強調された。 さらに、「使徒的熱意を鍛えようとするなら、迷い出ていった羊のことを常に考えねばなりません」とされ、福音で「迷い出た羊」についてイエスが語られた箇所で「私たちが知るのは、神が、羊を囲いの中に閉じ込めたままにしたり、群れから外れないように脅すことはされない、群れから離れたり、迷ってよそに行ってしまったら放っておかず、探しに出て行かれる、ということです」と説明。 「神は、迷わずにいる 99 匹の羊たちを置いて、迷い出た羊を探しに出かけられる、というリスクを伴う不合理なことをなさいます。それは、自分のもとを去った人を惜しむ神の”司牧者の心”です。怒りや恨みではなく、 私たちへの純粋な思い、神の熱意です」と説かれた。