☩教皇アンゴラ訪問3日目:サウリモの野外会場でミサ・「復活された主は私たちの道を照らし、私たちを聖別してくださる」

Pope Leo XIV celebrates Mass in Saurimo, AngolaPope Leo XIV celebrates Mass in Saurimo, Angola  (@Vatican Media)

(2026.4.20 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 アンゴラ訪問中の教皇レオ14世は20日昼、北東の都市サウリモの野外会場でミサを捧げられ、説教で「道を導き、私たちを聖別してくださる復活された主に従うように。朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る食物のために働くように」と信徒たちに呼びかけられた。

 そして、「復活された主は、私たちのために父なる神への道を照らし、御霊の力によって私たちを聖別してくださる。それは、私たちが主の愛に倣って生き方を変えていけるようにするためです」と慰めの言葉を述べられた。

 さらに教皇は、「世界のあらゆる場所で、教会が、『私たちの兄弟であり、救い主であるキリストの弟子として歩む民』として生きていること、そして福音という良き知らせが私たちの旅を支えていること」に注意を向けられ、その旅が、今日、私をここ、あなた方の元へと導いてくれたのです!」と言明。

 「イエスの御名のもとに結ばれた、この集いの喜びと素晴らしさの中で、救いの御言葉に心を開き、耳を傾けましょう。そうすることは、私たちが主に従う動機と目的について省みる助けとなる」と信者たちを促された。

 また教皇は、神の御子が人となられた際、父なる神の御心を明らかにするために驚くべき奇跡を行われたことをに注目され、「主は盲人の目を開いて闇の中に光を輝かせ、口がきけない者の舌を解いて抑圧された者に声を授け、貧しく弱い者たちのためにパンを増やして、私たちの正義への渇きを癒してくださいました。これらの業を耳にした者は皆、イエスを探し求めて出かけたのです」と語られた。

*正しい理由でキリストを求める必要性

 同時に、教皇は、主は私たちの心を見つめ、「私たちが感謝から主を求めるのか、それとも自己利益のためなのか、計算ずくで求めるのか、それとも愛をもって求めるのか」と問いかけておられる、とされた。

 そして、イエスが、従う者たちに「あなたがたは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したから、私を探しているのだ」(ヨハネ福音書6章26節)と言われたことを想起されて、「群衆は、主を『目的のための手段、奉仕の提供者』として見ていた、と指摘され、「もし主が彼らに食べるものをお与えにならなかったら、主の行いや教えは彼らの関心を引かなかったでしょう」と述べられた。

 そのうえで教皇は、「真の信仰が迷信的な慣習に取って代わられた時、神は私たちにとって都合が良い時だけ、そしてそれが続く間だけ、求められる偶像となってしまいます」と警告。「キリストを求める動機には誤ったものが過去にもあり、時には今も存在すること」を指摘され、「特に、キリストが『グル』や幸運のお守りと見なされる場合に、そうなるのです」と注意された。

*不誠実な探求を拒絶するのでなく、回心を促すこと

 「しかし」と教皇は語られた。「イエスは、この『不誠実な探求』を拒絶するのではなく、その回心を促されます。群衆を追い払うのではなく、自分の心に何が動いているのかを見つめるよう招かれます。キリストは私たちを自由へと招かれる。召使いや客人を求めているのではなく、自らを完全に捧げることができる兄弟姉妹を求めておられるのです。 この愛に、信仰をもって応えるには、イエスの言葉を聞くだけでは不十分。その言葉の意味を受け入れねばなりません」と説かれた。

 さらに、「イエスの行いを見るだけでも不十分です。イエスに従い、倣わねばならないのです」と強調。「分かち合うパンというしるしの中に、私たちのためにご自身を捧げる救い主の御心を見出したときのみ、私たちはイエスとの真の出会いに近づきます。そのとき、群衆に向けた主の戒めは、招きへと変容します—『朽ちる食物のために働くのではなく、永遠の命に至る食物のために働け』と」と強調された。

*イエスは、永遠に支えられる正しい道を教えてくださる

 教皇はまた、「イエスは、私たちに、『命のパン』すなわち『永遠に私たちを支える糧』を求める正しい道を教えてくださいます。群衆は、キリストからさらに大きな応答を受け取ります。『朽ちてしまう食物』ではなく、『永遠の命の糧であるゆえに永遠に続くパン』を、キリストは与えてくださるのです」と言明された。

 続けて、「イエスの賜物は、私たちの現在の状況を照らし出しています。つまり、多くの人々の希望が暴力によって打ち砕かれ、権力者によって搾取され、富裕層によって奪われている。の不正によって心が腐敗すると、すべての人のパンが少数の者の所有物になってしまいます」と指摘。

 だが、「このような悪に直面して、キリストは人々の叫びに耳を傾け、あらゆる挫折から私たちを再び立ち上がらせ、あらゆる苦しみの中で慰め、使命を果たすよう励ましてくださることで、私たちの歴史を新たにしてくださるのです」と語られた教皇は、「聖体こそが、キリストが絶えず私たちに与え続けてくださる『生けるパン』であるように、キリストの歴史にも終わりはありません」と信者たちを励まされた。

*命を救う信仰

 そして、「このゆえに、復活なさった方は、聖霊の力によって私たちの命を開き、私たちの歴史の終わり―すなわち死、を取り除いてくださる。キリストは生きておられます! 彼は私たちの贖い主です。このことこそが、私たちの分かち合う福音であり、地上のすべての人々を私たちの兄弟姉妹とするもの。これこそが、罪を赦しへと変える宣教。これこそが、命を救う信仰です!」と強調。

 「したがって、復活の証しは確かに、十字架にかけられ、復活されたキリストに関わるものですが、それは私たち自身にも関わるもの。なぜなら、キリストにおいてこそ、私たちの復活の宣言が、その声を上げるからです」と説かれた。

 さらに教皇は、「私たちは、死ぬためにこの世に生まれたのではない。私たちは、肉体の腐敗にも、魂の腐敗にも、奴隷となるために生まれたのではない。あらゆる形態の抑圧、暴力、搾取、不正は、私たちの自由という至高の賜物であるキリストの復活を否定するものでです」とされ、「この死からの解放が、人生の最期にのみ起こるのではなく、日々の生活の中で起こるものです」と言明。 「そのような賜物を受け入れるには、私たちは何をすべきか? 福音書そのものが教えてくれます―『神の業とは、神が遣わされた方を信じることだ』(ヨハネ福音書6章29節)。 そう、信じましょう!」と信者たちに呼びかけられた。

 この思いを込めて、教皇は信者たちに、次のように記された詩編を想起させた―「主の律法に従って歩む者は幸いである」。

 

 

*神が私たちのために開いてくださった道は決して裏切らない

 また教皇は、「主が私たちの道を導いておられ、私たちはその知恵ある導きに従って進むべきです」と強調。「心に福音を宿せば、困難や失望に直面しても勇気を持てるでしょう。神が私たちのために開いてくださった道は、決して裏切りません」とされ、「主は、私たちが主の道を歩み続けられるよう、常に私たちと共に歩んでおられます。キリストご自身が、私たちの旅路を導き、強めてくださるのです」と信者たちを励まされた。

 そして説教の最後に、信者たちを通じて「神の恵みの働きが実を結ぶ」ことを指摘され、殉教者や聖人たちの証しによって、彼らが希望と和解と平和の道を歩み続けるよう励まされるよう祈られた。

翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年4月20日