(2026.4.23 Vatican News)
アフリカ4か国歴訪11日間の旅を終えられた教皇レオ14世は23日午後、ローマへの帰路の機内で同行記者団と会見され、すべての人々に福音を宣べ伝えるという自身の使命を語られ、イランやレバノンの戦争で犠牲となった子供たちを思い、国際法の尊重を強く訴えられた。
会見で教皇は、戦争、米イラン交渉、移民、死刑、そして同性カップルの祝福などの問題について、記者たちの質問に答えられた。暫定英語訳は次の通り。
・・・・・・・・・・・
*私の巡礼の第一目的は「福音を宣べ伝え、イエス・キリストのメッセージを告げ知らせる」こと、政治ではない
教皇(イタリア語で):
旅をする際、私個人として語りますが、今日は教皇として、ローマの司教として語ろうと思います。今回の4か国歴訪は、何よりもまず、神の民と出会い、共に歩み、彼らを知るための司牧的、使徒的巡礼なのです。
皆さんがしばしば示される関心は、より政治的なものです。「教皇は、この問題やあの問題について何と言うのか?」「なぜ教皇は、ある国の政府を批判しないのか?」といったものです。確かに語るべきことは山ほどあります。私は正義について語りましたし、そうした課題は確かに存在します。
しかし、それが今回の巡礼の第一の目的ではありません。何よりもまず、「福音を宣べ伝え、イエス・キリストのメッセージを告げ知らせる」という願いの表れとして理解されるべきです。それは、人々の喜びや信仰の深み、そして苦しみの中にあっても寄り添う道なのです。
しばしばコメントを述べたり、人々自身が自分の人生に責任を持つよう促す方法を探したりする必要があることは明らかです。また、国家元首と対話し、考え方の転換や公益について考えることへのより大きな開放性を促し、国の資源の分配といった問題について検討することも重要です。私たちが交わした対話では、あらゆることを少しずつ行いましたが、何よりも、この熱意を持って人々を見、出会うことができました。
今回の旅全体に大変満足していますが、赤道ギニアの人々と共に暮らし、寄り添い、歩んだことは、雨の中でも… 本当に恵みでした。先日、人々は雨を喜んでいましたが、何よりもそれは、私たちが信仰の中で祝うものを、全世界の教会と分かち合うしるしでした。
*平和のための対話の継続、戦争の脅威の除去、国際法尊重に全力を尽くすよう、指導者たちに求める
問:イグナツィオ・イングラオ(Tg1):出会いと物語、そして人々の顔に満ちたこの旅をありがとうございました。カメルーンのバメンダでの平和集会で、教皇さまは、ほんの一握りの暴君たちが地球を破壊しかねない、ひっくり返ったような世界について語られました。平和は「作り出す」ものではなく、「受け入れる」ものであるとおっしゃいました。イラン紛争をめぐる交渉は混乱しており、世界経済に深刻な影響を及ぼしています。ここ数か月、市民社会や学生たちも街頭に出ており、核開発競争に対する世界的な懸念もある中、教皇様はイランでの政権交代を望まれますか?この膠着状態を打破し、事態の悪化を食い止めるために、米国、イラン、イスラエルに対してどのような訴えをなさいますか?また、NATOや欧州はもっと関与すべきでしょうか?
教皇(イタリア語で):
まず申し上げたいのは、「私たちは、新たな姿勢と平和の文化を推進しなければならない」ということです。ある状況を評価する際、往々にして直感的な反応として、「暴力や戦争、攻撃で対処すべきだ」という考えが浮かびます。
しかし、私たちが目にしてきたのは、「多くの罪のない人々が命を落とした」という現実です。私はつい先ほど、攻撃初日に殺害された子供たちの遺族からの手紙を受け取りました。彼らは、その事件で亡くなった子供たちを失った悲しみを語っています。問題は政権交代があるかどうかではありません。問題は、これほど多くの罪のない人々の死を招くことなく、私たちが信じる価値観をいかに推進するかということです。
イランの状況は、明らかに非常に複雑です。交渉そのものについても、ある日はイランが「イエス」と言い、米国が「ノー」と言い、その逆もまた然りであり、事態がどこへ向かっているのか見当もつきません。世界経済にとってこの混沌とした危機的状況が生み出される一方で、イラン国内の無実の人々全体が、この戦争によって苦しんでいます。政権交代について「イエス」か「ノー」かと問われても、イスラエルと米国によるイランへの攻撃が始まって数日が経過した現在、いったいどのような政権が存在しているのかさえ明確ではありません。
私は平和のための対話を継続し、すべての当事者が平和を促進し、戦争の脅威を取り除き、国際法を尊重するために全力を尽くすよう促したい。いくつかの地域ではそうなっていませんが、罪のない人々が保護されることは極めて重要です。。
私は、レバノン訪問の際に「ようこそ、教皇レオ」と書かれたプラカードを持って待っていたあるイスラム教徒の子供の写真を、今も持っています。彼は、この戦争の最終段階で命を落としました。世の中には様々な人間の状況があり、私たちはそうした観点から物事を考えられるようにならなければならないと思います。
教会として―繰り返しますが―司牧者として、私は戦争を支持することはできません。そして、憎しみや分裂ではなく、平和の文化から生まれる答えを模索するよう、皆さんに努力していただきたいと願っています。
*移民問題の根本的解決は、資源の搾取を無くし、人々が他国へ移住する必要を無くすことにある
問:エヴァ・フェルナンデス(ラジオ・コペ):私たちは今、多くの人々が欧州への渡航を願い、”夢見ている大陸”を後にしようとしています。教皇の次の訪問先はスペインですが、そこでは、特にカナリア諸島において、移民問題が極めて重要な課題となっています。ご存知の通り、スペインにおける移民問題は大きな議論と対立を生んでおり、カトリック教徒の間でさえ明確な立場は定まっていません。移民問題について、スペインの人々、とりわけカトリック教徒に、どのようなメッセージを伝えればよいでしょうか?そして、もしよろしければお聞きしたいのですが:次の訪問先はスペインですが、ペルーにも行きたいとお考えですし、おそらくアルゼンチンやウルグアイにも、そしてグアダルーペの聖母に挨拶しに行くこともお考えでしょうか?
教皇(スペイン語で):
移民問題は非常に複雑で、スペインだけでなく、欧州だけでなく、米国だけでなく、多くの国に影響を及ぼしています。これは世界的な現象なのです。
ですから、私の答えは、まず一つの問いから始まります。グローバル・ノース(北半球の先進国)は、グローバル・サウス(南半球の発展途上国)、あるいは今日の若者たちが未来を見出せず、それゆえ北へ移住することを夢見ている国々を助けるために、何をしているのでしょうか?誰もが北へ行きたいと願っていますが、北側には彼らに機会を提供する方法についての答えがないことがよくあります。多くの人々が苦しんでいます…人身売買の問題もまた、移民問題の一部です。
個人的には、国家には国境を規制する権利があると考えています。「無秩序な入国をすべて許容すべきだ」と言っているわけではありません。そうすることで、時には目的地国において、彼らが後に残してきた状況よりもさらに不公正な状況を生み出すことになりかねないからです。しかし、そうは言っても、私は自問します。「より豊かな国々として、私たちは貧しい国々の状況を変えるために何をしているのでしょうか?」「なぜ、政府の援助や、富裕な大企業や多国籍企業の投資を通じて、今回の訪問で訪れたような国々の状況を変えるよう試みることができないのでしょうか?」と。
アフリカは、多くの人たちから「鉱物を採掘し、他国の利益のために、その富を奪い取られる場所」として見られがちです。おそらく世界全体として、アフリカ諸国におけるより大きな正義、平等、そして発展を促進するために、もっと努力すべきでしょう。そうすれば、人々がスペインをはじめとする他国へ移住する必要がなくなるはずです。
そしてもう一点申し上げたいのは、いずれにせよ彼らは人間であり、「私たちは、人間を人間らしく扱わなければならない」ということです。しばしば見られるように、動物以下のように扱うべきではありません。これは非常に大きな課題です。ある国は「これ以上の数は受け入れられない」と言うかもしれませんが、人々が到着した時点で、彼らは人間であり、その尊厳ゆえにすべての人間が持つべき敬意に値するのです。
(今後の訪問予定は?)
ラテンアメリカのいくつかの国を訪問したいという強い願望を持っています。今のところ、確定したことは何もありませんが、様子を見守りたいと思います。
*バチカンは中立性を保ち、多くの国と建設的な外交関係を続け、福音の教えを適用し、人々の暮らしを改善する道を目指す
問:アーサー・ヘルラン(パリ・マッチ):この素晴らしい旅について、フランス人同僚全員を代表して、心より感謝申し上げます。本当に素晴らしかったです。教皇さま、今回の旅では、世界で最も権威主義的な指導者たちとお会いになりましたね? 教皇さまの存在が、こうした政権に”道義的な正当性”を与えてしまうことを、どのように防ぐおつもりですか?それは、いわば「教皇による美化」のようなものではないでしょうか?
教皇(英語で):
確かに、教皇がどの国家元首と会っても、そのことは様々な解釈を招き得ます。ある人々からは「ああ、教皇や教会は、彼らがそのような生活を送ることを容認しているのだ」と解釈され、実際にそう解釈されてきたこともあります。一方で、異なる見解を持つ人々もいるでしょう。
私が冒頭の発言で触れた点に戻りたいと思います。つまり、私が教皇として行う訪問の第一の目的は、「人々を訪ねること」にあるという点を理解することの重要性、そして、聖座が時に多大な犠牲を払ってまで、世界中の国々と外交関係を維持し続けている体制の大きな価値についてです。時には、専制独裁的な指導者がいる国々と外交関係を持つこともあります。
私たちは、外交的・公式なレベルで彼らと対話する機会を持っています。常に批判や裁き、非難といった大げさな声明を出すわけではありません。しかし、正義を推進し、人道的な大義を推進し、時には政治犯が存在する状況を探し出し、彼らが解放される道を見つけるために、舞台裏では膨大な作業が行われています。飢餓や病気などの状況についても同様です。
ですから、ローマ教皇庁は、いわば中立性を保ちつつ、多くの異なる国々との建設的な外交関係を継続する方法を模索することで、実際に福音の教えを具体的な状況に適用し、人々の生活を改善する道を見出そうとしているのです。
残りの部分については人々がそれぞれの解釈をするでしょうが、私たちにとって重要なのは、どの国の人々に対しても、可能な限り最善の方法で支援しようと努めることだと思います。
*「同性愛カップルの祝福」は具体的に示された範囲内で
問:ヴェレーナ・ステファニー・シェルター(ARD放送):グローバル・サウスへの初の教皇訪問、おめでとうございます。現地では大きな熱狂、さらには陶酔感さえ見受けられましたが、教皇さまにとっても非常に感動的な体験だったことでしょう。
ところで、ミュンヘン・フライジング大司教のラインハルト・マルクス枢機卿が、自身の教区内で同性カップルの祝福を許可した決定について、どのように評価されていますか。また、特にアフリカにおける異なる文化的・神学的視点に照らして、この特定の事柄に関して、世界教会の統一をいかに維持されるおつもりですか?
教皇(英語で):
まず第一に、教会の団結や分裂が、性的な問題で左右されるべきではないということを理解するのが非常に重要だと思います。私たちは、教会が道徳について語る際、「道徳の問題といえば性的なことだ」と考えがちです。しかし実際には、正義、平等、男女の自由、信教の自由など、この特定の問題よりも優先されるべき、はるかに重大で重要な課題が他にもある、と私は信じています。ローマ教皇庁はすでにドイツの司教団に意見を伝えています。
ローマ教皇庁は、ご質問のように、同性愛者のカップルや、いわゆる「不規則な状況」にあるカップルについて、教皇フランシスコが「すべての人が祝福を受ける」と述べられた際に、具体的に示された範囲を超えた、形式的な祝福には同意しないことを明確にされています。
司祭がミサの終わりに祝福を与えるとき、あるいは教皇が今日のような大規模な祝典の終わりに祝福を与えるとき、それらは「すべての人々に対する祝福」です。フランシスコ教皇のよく知られた言葉「Tutti, tutti, tutti(みんな、みんな、みんな)」は、「すべての人々が歓迎され、すべての人々が招かれ、すべての人々がイエスに従うよう招かれ、そしてすべての人々が自らの生活の中で回心を求めるよう招かれている」という、教会の信念を表すものです。
今日、その先へ進むとすれば、この話題は「一致」よりも「不和」を生む恐れがある、と考えます。私たちは、イエス・キリストと、イエス・キリストが教えることに基づいて一致を築く方法を模索すべきです。これが、あなたの質問に対する私の答えです。
*他者の命を不当に奪う決定を下す政権や国は非難されるべきだ
問:アネリーゼ・タガート(Newsmax TV):今回の訪問中、人々が正義を渇望していることについてお話しになりました。今朝、イランがまたしても反体制派の一人を処刑したと報じられました。これに加え、同政権は他にも複数の人物を公開処刑し、自国民数千人を殺害してきたと言われています。教皇さまはこれらの行為を非難されますか。また、イラン政権に対して何かメッセージはありますか。
教皇(英語で):
私は、あらゆる不正な行為を非難します。人の命を奪う行為を非難します。死刑を非難します。私は、人間の命は尊重されるべきであり、すべての人々―受胎から自然死に至るまで―の命は尊重され、保護されるべきだと信じています。
ですから、ある政権や国が、他者の命を不当に奪う決定を下すのであれば、それは明らかに非難されるべきことです。