(2018.4.30 バチカン放送)教皇フランシスコは28日の正午の祈り の集いの説教で、この日の福音朗読箇所、イエスがご自身を「まことのぶどうの木」にたとえる場面(ヨハネ福音書15章1-8節)を観想された。
「私はぶどう の木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とイエスは話し、ご自分に「つながって」いることの大切さを説いている。「ぶどうは一本の木からいくつもの枝がでているが、枝が豊かに実をつけることができるのは、ぶどうの木とつながっていてこそ、なのです」と教皇は語り、ヨハネ福音書のこの箇所で何度も繰り返される「つながる」という言葉を、キリスト教生活の秘訣として示された。
そして、「人は主とつながっていることで、狭い自分自身と安楽から抜け出し、他の人たちを助け、世に広くキリスト教的証しをするための勇気を得ることができます」と話され、「キリストとの交わりから生まれる最も成熟した実とは、イエスのように自分を捨て、兄弟たちを愛しながら、人々への愛の業に取り組むことです」と述べられた。
さらに、「主との深い交わりを保ち、ぶどうの木の枝のようにつながるなら、復活の主から来る新しい命、いつくしみ、正義、平和の実を結ぶことができるでしょう」と説かれ、主のぶどうの木の真の枝となって、キリスト者として人生を精一杯捧げ、愛を証しした人々として聖人たちの存在を挙げながら、「聖人となるには、司教や、司祭、修道者である必要はありません。私たち皆が、聖性に招かれています」「私たちは、それぞれが置かれた場所で、日々の生活を通して、愛をもって生き、それぞれの証しをすることで、聖人になるように呼ばれているのです」と強調された。
(バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集しました)