12月24日に始まる「希望の巡礼」の聖年を前に6日、「希望」と「旅としての信仰」をテーマにした2冊の教皇フランシスコの講話集が、バチカン出版局から発刊された。2冊はそれぞれ、「希望」と「信仰=旅」というテーマに沿って、教皇の説教や講話等から選ばれた言葉が集められており、教皇はそれぞれの本に序文を書かれている。
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教皇は、『希望は夜の光』の序文で、希望とはすべてのキリスト者にとって「恵み」であると同時に「務め」である、とされ 「希望が『恵み』であるのは、神が与えてくださるものだからです… 希望とは、大学の試験がうまくいくといい、日曜日の遠足が晴れだといい、といった単なる願望ではなく、『神の永遠、無限の愛における救い』という、すでに与えられているものを待ち望む態度なのです」と指摘。
そして、「この神の愛と救いが、私たちの人生に味わいをもたらし、私たちの罪が引き起こしたあらゆる悪にもかかわらず、世界が存在し続けるための要(かなめ)を形作ります… 『希望する』とは、うかがい知れない天に閉じこもることなく、『私たちの状態を分かち合うために血となり肉となられた神』に愛され、求められ、望まれることの素晴らしさを味わうことなのです」と説かれ、また、「希望とは、『キリスト者が育み、その実りをすべての兄弟姉妹のために役立て、いただいた恵みに忠実に生きるという務め』でもあります」と語られている。
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もう一つの選集、『信仰は旅』の序文で、教皇は、2025年の聖年では「希望」という本質的な面と共に、「信仰とは巡礼であり、私たちはこの地上の巡礼者でだ」という自覚をはっきり持つことを望まれている。
教皇は、「巡礼者とは、旅行者や放浪者のように状況に合わせて移動する存在ではありません… リスク、苦労、目的地というキーワードに表される『歩みを生きる』存在です」とされ、「大昔、旅に出るということは、多くの危険のために、『二度と家に戻れないかもしれない』というリスクを帯びていました。しかしながら、巡礼のために旅立ちを選んだ人たちの信仰は、どんな恐れよりも強かったのです」と指摘。
そして、「私たちも、そのような信仰のわずか一部でも神に願い、神に信頼し、御旨にゆだねるというリスクを受け入れることを、昔の巡礼者たちから学ぶように、求められているのです… 巡礼の歩みは苦労に満ちています。早く起き、必要な物だけを背負い、簡素な食事をとる。足は痛み、喉の渇きは辛くなる。しかし、歩いて巡礼する人は、出会う人との美しい関係、真の沈黙と内的豊かさ、本質的な価値の理解など、苦労以上のものを得られます」と語られた。
さらに教皇は、「歩むことには目標がある。歩む人は方向性を持ち、どこに行くかを知っている。神こそが私たちの目的地です… そして、この神を求め続ける歩みこそが、ご自身のなぐさめと恵みを与えるために、神は私たちを待っておられる、という甘美な確信を、私たちにもたらすのです」と強調されている。
(編集「カトリック・あい」)