☩「 主は限りない慈しみで、いつもすべてを赦してくださる」教皇、聖ステファノ殉教者の祝日、正午の祈り

Pope Francis at AngelusPope Francis at Angelus  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 教皇フランシスコは、最初のキリスト教徒殉教者である聖ステファノの祝日、26日の正午の祈りに先立つ説教で、信者たちに「今、信仰のために迫害されている人々に関心を持ち、彼らのために祈っているかどうか」を自問するよう呼びかけられた。

 主の降誕の大祝日の翌日の26日のミサでは、石打ちの刑に処されて殉教した最初のキリスト教徒の殉教者である聖ステファノを祝う。使徒言行録によると、ステファノは死の間際、自分を殺した者たちのために祈った、という。

 教皇は、「ステファノは、一見すると暴力に対して無力であることに苦しんでいるように見えますが、実際には、真に自由な人間として、殺人者たちをも愛し続け、彼らのために自分の命を捧げました。まるで十字架上のイエスのようにです」と指摘。

 「このように、ステファノは、死の瞬間においても主の慈悲と愛を模範としており、『すべての人を救いたい、一人も失いたくない』という神の偉大な願いの証人として、私たちには見えます」と語られた。

 そして、「残念ながら、今日でも、世界中のさまざまな地域で、福音のために迫害され、時には死に至るまで苦しめられる男女が数多くいます。ステファンについて語られたことは、彼らにも当てはまります」とされ、 「彼らは、弱さゆえに殺されることも、イデオロギーを守るために殺されることも容認しない。すべての人を救いの賜物に参加させるために殺されるのです。何よりもまず、彼らは殺害者のためを思ってそうするのです」と強調。信仰のために犠牲となる人々のために祈られた。 

 さらに教皇は、現代の殉教者である福者クリスチャン・ド・シェルジュを素晴らしい模範として取り上げられた。彼は1996年にアルジェリアの10年間にわたる内戦中に殉教したティブリネの7人の福者修道僧の一人。修道院長だったクリスチャン・ド・シェルジュと、修道士の兄弟であるルック・ドシェ、クリストフ・ルブレトン、ミシェル・フルーリ、ブルーノ・ルマルシャン、セレスティン・リンガード、ポール・ファーブル・ミヴィルの7人は全員斬首され、その頭部は2か月後にティビリーンからそれほど離れていない場所で発見されたが、遺体は見つからなかった。

 「迫り来る死を予見していた福者ド・シェルジュは、霊的遺言の中で、自分を殺すであろう人物を“最後の瞬間の友人”と呼びました」と教皇は振り返られた。

 これらのことを踏まえて、教皇は信者たちにいくつかの質問について熟考するよう促された―「私は、すべての人々が神を知り、すべての人々が救われることを望んでいるだろうか? 自分を苦しめる人々の幸福を望んでいるだろうか?」、そして「信仰のために迫害されている多くの兄弟姉妹に関心を持ち、彼らのために祈っているだろうか?」。

 最後に教皇は、殉教者の女王マリアに、「私たちが世界を救う福音の勇敢な証人となるよう助けてください」と懇願されて、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2024年12月26日