続けて、祈りに参加する人たちに、このことをしっかりと認識するように求められ、「私たちにとっても、イエスと共に自分の人生の来歴を振り返ることが重要です。弟子たちがしたのと同じように、私たちは、さまざまな出来事に直面し、多くの疑問や心配事を抱え、様々な出来事、孤独、不確かさに直面して、我を忘れてしまうことがありますが、弟子たちがしたように、私たちもイエスと共に時を過ごすように招かれているのです。そうすることでイエスは私たちと一緒にいてくださるでしょう」とされた。
そして、そのための最善の方法は、「毎夕に、短い良心の糾明を行うこと」とされ、 イエスと共に一日を追体験し、希望、恐れ、感動、選択、そして一日を通して私たちの心をよぎった人々のすべてをイエスに委ねることで、「自分の目だけでなく、イエスの目、異なる目をもって物事を見ることを徐々に学ぶのです」と説かれた。
また、これを行うためには、「警戒を緩める必要があります。イエスに何も隠してはなりません」とされ、「イエスを通して、私たちは彼の真実によって自分が傷付けられるようにし、自分の心をイエスの御言葉の息吹で震わせるようにせねばなりません」と付け加えられた.
説教の締めくくりに教皇は、「私たちは今日から始められます… 今晩、私たちの一日について問い返す祈りの時間を持つとことです。自分に問い掛けなさい。『私がしたことの中に、少しばかりの愛があっただろうか?』『イエスに委ねることで、新たな道を開いてくださるように、私を断ち直させ、励ましてくださるようにすることに、失敗したり、嘆いたり、疑ったり、恐れたりすることがあったろうか?』と」と語られた。
そして最後に、「賢い乙女」であるマリアに、「私たちが、共に歩んでくださるイエスを認識し、彼の前で私たちの人生の日々をを読み直すことができるよう、お助けくださいますように」と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)