(2025.1.26 Vatican News Linda Bordoni)
教皇フランシスコは26日、神の言葉の主日の正午の祈りに先立つ説教で、「2025年の聖年がキリスト教徒にとって救いの必要性を認識し、キリストとの出会いを新たにする機会」となることを強調された。
教皇はこの日のミサで読まれた、ナザレのシナゴーグを訪れたイエスについて記述したルカ福音書の箇所、特に、イエスがイザヤ書の預言の成就を宣言した瞬間に注目され、「この瞬間に、イエスの同郷の人々に決定的な疑問を投げかけました。『彼は自分にふさわしくない役割を自分にふりかぶる大工の息子なのか、それとも、神によって罪と悪から人々を救うために遣わされた真のメシアなのか?』と」「ナザレの人々が受けた衝撃と困惑を想像してみてください… 彼らはイエスをよく知っているつもりでいましたが、それが、かえって彼らが心を開くのを妨げ、光を遮るベールのように覆ってしまったのです」と指摘された。
続けて教皇は、「この福音書の箇所は今日も、信者たちに『イエスに対する自分自身の理解と向き合うように』と促しています」とされ、「ここに書かれた出来事は、今日でも私たちにも起こり得ます… つまり、私たちも『イエスをすでに知っている』と思い込む罠に陥る可能性がある。私たちはイエスと共に成長してきました。学校で、教区で、教理学習で、カトリック文化を持つ国で…。ですから私たちにとって、イエスは身近な存在です。あまりにも身近な存在なので(そのような罠に陥る可能性がある)」と説かれた。
そのうえで教皇は、「私たちは、イエスを神の子であり、救い主である」と本当に認識しているかどうか、自らに問うように促された。「ナザレのイエスが語る言葉に、独特な権威があることを感じているだろうか?」「私たちに救いをもたらすことができるのは、イエスの他に誰もいないことを認識しているだろうか?」。
そして、「このようにして、私たち全員に救いの必要性を考え、それを認識した時に、初めて今年が恵みの年になるのです」と説かれた。最後に教皇は、「神の母であり、私たちの母であるマリアに自信を持って助けを求め、イエスを認識できるようにしましょう」と信者たちに呼びかけ、説教を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)