(2025.3.9 Vatican Newes Tiziana Campisi)
「ボランティアの聖年」が8、9の両日、バチカンとローマ市内で世界100カ国からおよそ2万5千人の参加して行われ、9日、その記念のミサが、聖ペトロ大聖堂で、教皇フランシスコの代理、チェルニー枢機卿の司式で行われた。
*社会の”砂漠”に、ボランティアの人たちが希望をもたらす
一般信徒を含め約3万人が参加、枢機卿、司教、司祭など100人を超える共同司式者が参加したミサの説教は、教皇が用意された原稿をチェルニー枢機卿が代読する形で行われた。説教の冒頭で、教皇は、世界中のボランティアたちが多くの人々と共に奉仕し、献身してきたことを称え、「親愛なる皆さん、私は心から感謝いたします。なぜなら、皆さんはイエスの模範にならって惜しみなく隣人への奉仕を行っているからです。街角や家庭で、病人や苦しむ人々、投獄された人々と共に、また若者や高齢者と共に、皆さんの寛大さと献身は、私たちの社会全体に希望をもたらしています」と述べられた。
続いて、ミサで読まれたルカ福音書の箇所(4章1₋13節)を取り上げ、イエスが「聖霊に導かれて」砂漠で直面した誘惑について考察され、初めに、「私たちの四旬節の旅は、主について行き、主が私たちのためになさった経験を分かち合うことで始まります。それは、『沈黙の場』が『傾聴の場』となり、傾聴する能力が試されるからであり、私たちは2つの全く異なる声の間で取るべき道を選ばねばならないからです」と指摘。
そして、「砂漠で、イエスは飢えを経験され、悪魔の言葉に誘惑されますが、それを拒絶します。私たちも誘惑を受けますが、決して孤独ではありません。イエスは私たちと共におられ、砂漠を歩む私たちを導いてくださいます。神の子である方は、悪と戦う方法を私たちに示してくださるだけではありません。それよりはるかに大きなものを与えてくださる。悪の攻撃に抵抗し、旅を続けるための強さを与えてくださるのです」と強調された。
*誘惑の3つの特徴
教皇は、イエスが誘惑された際の3つの側面と、私たち自身の誘惑の3つの側面について語られ、「誘惑の始まり、誘惑の方法、誘惑の結果」について「誰もがイエスと自分の経験を比べ、自身の『回心の旅』の支えを見出すように… 主は、自らの意志の強さを示すために砂漠に向かうのではなく、父なる神の導きを素直に受け入れる、親に尽くす心から御霊に身をゆだねますが、私たちが受ける誘惑は、悪が内側から私たちを攻撃し、内なる影のように、絶え間なく脅威をもたらします」とされた。
そして、「誘惑に遭わせないでください、と神に願うときには、神はすでにその祈りに応えられていることを思い起こす必要があります。神は、御言葉であるイエスを通して、常に私たちと共にいてくださいます。主は私たちの傍におられ、試練や不安の時に、誘惑者が声を荒らげるときに、私たちを気遣ってくださるのです」と説かれた。
これに対して悪魔は「偽りの父であり、ゆがんだ存在。彼は神の言葉を理解することなく、知っています。父なる神とは、まったく逆です。エデンの園のアダムの時代からそうであったように、イエスという新しいアダムが、砂漠でその試練に遭うのです」と付け加えられた。
*キリストは神と人間を結びつける
キリストが試練に遭う理由について、教皇は「悪魔は(神と人間を)分断し、分裂させる存在であるのに対し、イエスは神と人間を結びつけ、仲介する存在です。悪魔がその絆を断とうと企むとき、イエスは、誰も排除することなく、すべての人を受け入れる関係を築き、私たちの救済のために世界と分かち合う贈り物となれる。悪魔が私たちに、神から遠く離れていると信じ込ませ、絶望に誘惑しようとするまさにその時、神は、私たちに近づき、世界の贖いのためにご自分の命をお捧げになるのです」と説かれた。
*イエスが悪を打ち負かされ、私たちを贖われる