☩「私たちは三位一体の中に安らぎを見出す」教皇、三位一体の主日の正午の祈り

St Peter's SquareSt Peter’s Square  (@Vatican Media)
(2026.5.31 Vatican News   Kielce Gussie)

    三位一体の祝日の5月31日、教皇レオ14世は正午の祈りに先立つ説教で、聖ペトロ広場に集まった数千人の巡礼者たちに対し、三位一体の神の御業が「しばしば非常に落ち着きのない私たちの心に平安を与えてくださる」と語られた。

 三位一体の神の神秘について考察された教皇は、「イエスにおいて、与えられた神の命から始まる私たち自身の歩みを振り返る機会が与えられます」とされた。

 そして、この命について、「私たちを引き寄せる、力強く、尽きることのない、信仰による交わり。父と子とを結びつける聖霊は、私たちの心に宿っている。これによって、教会は交わりの秘跡となり、天と地がすでに触れ合う出会いと愛と命の場となります」と説かれた。

*ニコデモは、神が自分の人生を変え得ることを学んだ

 教皇は、この日のミサで読まれたヨハネ福音書(3章16-18節)を黙想しながら、イエスに深く引き寄せられたニコデモという人物に言及された。

 ニコデモは、イエスがどのような方であるかを知り、理解したいという熱意を持ちながらも、人に見られないように、夜になってイエスを訪ねた。イエスはニコデモを温かく迎え入れ、「大人でも生まれ変わることができる」という答えで彼を驚かせた。「ニコデモは、神が自分の人生を変え得ることを学んだのです」と教皇は語られた。

 そして「イエスが聖霊について語られるにつれ、ニコデモの内なる闇は真理によって照らされた。それは、今日の祝祭において教会全体に響き渡る、まさにその真理です。 これこそが、『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人として滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ福音書3章16節)という真理であり、『神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである』(17節)という真理なのです」と強調された。

*私たちは皆、関係、交わり、出会いのために造られた

 教皇は続けて、「三位一体の神、父と子と聖霊の神秘の中にあって、私たちは、ニコデモがイエスの御前にいたように安らぎを見出します。神の命は人を魅了します。それは、しばしば非常に落ち着きのない私たちの心に、平安を与え、御霊の喜びの中で兄弟姉妹と出会うことを可能にしてくれます」とされ、「三位一体は、私たちがすべての人とすべてのものを愛する助けとなります。なぜなら、それを通して、すべての被造物が関係、交わり、そして出会いのために造られていることを理解するからです。その一方で、二極化や多様性への嫌悪、分裂が、なぜ世界に悲しみ、破壊、そして空虚をもたらすのかという理由も学ぶのです」と語られた。

 「サンヘドリン(イスラエルの大祭司たちの評議会)の一員であったニコデモは、イエスに対する憎悪に満ちた言葉を耳にするたび、人々に対し、イエスを非難する前にまず耳を傾けるよう促しました。ニコデモは、心を新たな真理と真の刷新へ開く『交わりの霊』を受け取っていたのです。この霊を受け入れない者は、悲しみの中で急速に老い、孤独を感じ、心に喜びを見出せなくなります」と説かれた。

 教皇は「今日は祝いの日。神の祝日は、私たちにとっても祝日だからです」とされ、正午の祈りの中で、信者たちに、「マリアのように振る舞い、神の御心に対して『はい』と応えるようにと促され、「至聖なる三位一体の愛に対する私たちの『はい』が、実を結ぶように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年6月1日