Pope Francis’ Sunday Angelus (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.1.19 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは19日、年間第2主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音で読まれた、カナの婚宴における主の最初の「しるし」について振り返られ、「私たちが何かを欠いているとき、主は、私たちと共に祝いたいという願いから、助けてくださり、私たちの期待を遥かに超えることをお望みになる」と語られた。
教皇は、説教で、この日の福音書であるヨハネによる福音書について考察。カナの婚宴で、母親の求めに応じて水をぶどう酒に変えたイエスの最初の「しるし」について振り返られ、「このエピソードは、イエスに与えられた使命を先取りし、要約しています」と指摘された。
そして、預言者イザヤとアモスが、救世主が現れる日には主が「上等のぶどう酒の宴会」を用意されると予見していたことを思い起こしつつ、「イエスは、神と人類の間の結婚の契約を更新するために、ご自身の愛という『上等のぶどう酒』をもたらすために来られた花婿なのです」と語られた。
続けて教皇は、「今日の福音で、私たちは『欠乏』と『過剰』という2つの要素を目にしています… 一方で、ぶどう酒が底をつき、マリアは息子に『彼らにはワインがありません』と告げ、他方では、イエスが介入し、6つの大きな壺に、宴会の主催者が最後までそれを取っておいた花婿を称賛するほど、極上のぶどう酒を溢れんばかりにされます」とされ、「神のしるしは豊かさ… カナで示された豊かさは、『神と人類との祝宴が始まった』というしるしです」と指摘。「人類が欠乏に直面したとき、神は常にお応えになり、しかも、決してわずかなものではなく、あふれるような神の愛をもって応えてくださいます」と説かれた。
教皇はさらに、「私たちの人生という”宴”においても、特に心配事や恐怖に悩まされたり、悪の破壊的な力が人生の味わい、喜びの興奮、希望の風味を奪ったりするときに、”ぶどう酒が足りない”ことに気づくことがあります。しかし、このような”欠乏”に直面しても、主は豊かにその愛を注ぎ、喜びと希望の聖霊の”ぶどう酒”を私たちの生活にもたらし、それを私たちに豊かに与えてくださるのです」と強調。「『私たちが欠乏すればするほど、主はより豊かに応えてくださる」という考えは、一見、矛盾しているように思えますが、それは、主が私たちと共に祝いたい、と望んでおられるからです」と説かれた。
そして説教の最後に、教皇は、「聖母マリアが私たちのために取り成し、この聖年に、主イエスと出会う喜びを再発見できるよう助けてくださるように」と信者たちに祈るよう促された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)