(2025.1.26 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは26日、聖ペトロ大聖堂で行われた「神の言葉」の主日のミサでの説教で、聖霊が、私たちの生活や社会にキリストを臨在させてくださるように、聖書を頻繁に読むことを信者たちに勧められ、「福音は、喜びの言葉であり、私たちを相互の受容と交わりへ招き、神の国に向かう巡礼の旅へと導くものです」と強調された。
今年の「神の言葉」の主日のテーマは「私はあなたの言葉に望みをかける」。教皇はこのミサで、アルゼンチン、オーストラリア、フィリピンなど11カ国40人の一般信徒に朗読奉仕の任務を授けられた。
説教で、教皇はこの日読まれたルカ福音書のイエスが故郷ナザレのシナゴーグで聖書を読んだ箇所(4章14‐21節)を取り上げ、また、この日が、2025年希望の聖年の様々な行事の第一弾となる「コミュニケーションのための聖年」にも言及された。
「イエスは、聖書がすべて成就する生ける御言葉です」とされた教皇は、「神聖な典礼の今日という日において、私たちはイエスと”同時代人”です。私たちもまた驚嘆に満ち、心を開いてイエスの言葉に耳を傾けます… 聖書の朗読を聞き、理解するだけでは十分ではありません。神の言葉は、私たちに『驚き』をもたらし、それが私たちの心に入り、私たちを新しくするものでなければならならないのです」と語られた。
*福音の言葉は、慈しみ、慈悲、光
続けて教皇は、キリストの使命を特徴づける5つの行動について考察され、第1に、イエスは「貧しい人々に福音を告げ知らせる」ために油を注がれた、とされ、「それは、『神の国が近づいている』という知らせです… 主は民を訪れ、福音の『慈愛の言葉』をもたらします。それは、私たちが慈善を実践し、自分に対する他者の負債を赦すよう促すものです」と説かれた。
第2に、イエスは「捕われ人に解放を告げ知らせる」ために来られた、とされ、「キリストの救いの贖いの力によって、捕われ人は解放されます。この福音の要素は『慈愛の言葉』であり、それは私たちに『平和、連帯、和解の情熱的な証人』となるよう呼びかけているのです」と語られた。
第3に、イエスは「盲人に視力を回復させる」ために来られた、とされ、「それは、権力や虚栄の誘惑によってしばしば盲目にされている私たちの心を解き放つことです… 福音は『光の言葉』であり、私たちを真理へと招き、信仰の証人となり、その実践に一貫性を保つよう呼びかけます」と述べられた。
*神の言葉における喜びと自由
第4に、イエスの使命は「虐げられた者を自由にする」ものであり、「それは、救い主は私たちを皆、兄弟姉妹とし、あらゆる束縛を打ち破るからです… 福音は『自由の言葉』であり、私たち一人ひとりを回心、誠実さ、忍耐へと導きます」とされた。
そして、第5に、イエスは「神の恵みの年を告げ知らせる」ために来られ、「これは、この聖年と、神が私たちの生活を希望に満ちたものに再生しようとされることに対応するもの… 福音は喜びの言葉であり、神の国に向かって巡礼の旅を続ける私たちに、相互の受容と交わりを呼びかけるものです」と強調された。
*キリスト教徒の使命は、常に福音を伝えること
教皇は、「キリストのこの5つの行動は、ナザレのシナゴーグでイエスが読まれたイザヤ書の預言を成就するもの」とされる一方、「しかし、キリストの救いは、まだ完全に実現していない。それは、世界中で数多くの戦争や苦しみがあることを見れば明らかです」と指摘されたうえで、「戦争、不正、苦痛、死が、地球上の人々や私たちの歴史に最終的な結末をもたらすことはありません。なぜなら、福音は決して裏切らない生きた確かな言葉だからです」と言明された。
そして、世界のキリスト教徒たちに、世界の救済のために肉体となった「神の言葉」を送り届けてくれた神に感謝するよう、次のように呼びかけられた。
「主は”沈黙の聞き手”としてではなく、常にあらゆる場所で福音を伝えるよう召された証人として、私たちに語りかけておられます… 貧しい人々に福音を伝え、捕らわれ人に解放を、盲人に視力の回復を告げ、虐げられた人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせることに、私たちは身を捧げようではありませんか」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)