☩「神の愛は、人間の正義や公平の考えを超越している」教皇、年間第25主日の正午の祈りの説教で

Pope Francis waves at the faithful during his Angelus prayerPope Francis waves at the faithful during his Angelus prayer  (Vatican Media)

(2023.9.24 Vatican News By Francesca Merlo)

   教皇フランシスコは年間第25主日の24日、正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「ぶどう園の労働者」のたとえ話を取り上げ、「神の愛は、人間の正義や公平の概念を超え、すべての人に神の無限の慈しみを体験するよう促しています」と語られた。

 このたとえ話では、ぶどう園での作業に労働者を雇った主人が、朝早くから夕方まで一日中働いた者にも、一時間しか働かなかった者にも、全員、同じ賃金を支払っている。

 教皇は、この主人の賃金の払い方は「不公平に見えるかもしれません」とされたうえで、「しかし、このたとえ話を、『賃金』というレンズを通して見るべきではありません。私たちの業績を算術で判断するのではなく、私たちを神の子として愛してくださる方の判断基準を明らかにすることが、このたとえ話の狙いなのです」 と説かれた。

 そして、このたとえ話から浮かび上がる2つの神の行為-「神の絶え間ない私たちへの呼びかけ」と「神の公平な補償」を指摘された。

 まず、「神の絶え間ない呼びかけ」について教皇は、「神は私たちを呼びに、いつでも出てかけて下さる方。 このたとえ話では、ぶどう園の主人が労働者を雇うおうと、一日中、繰り返し出かけて行きます。これは、神の人類に対するたゆまぬ呼びかけを示しているのです… 神は私たちが手を出すのを待ったりはされません。私たちを探し出すにあたって、私たちの長所を吟味することはありません」。

 さらに、 「呼びかけへの反応が遅れても、神は諦めません。神はイエスを通して、ご自分から私たちのところに出向き、ご自身の愛を現してくださいます。神は一日中いつでも、私たちの人生のさまざまな段階、時期において、晩年になっても、私たちを捜し求め続けられる」とされ、神の無限の愛と人類に対する神の揺るぎない献身を強調され、「神にとって、遅すぎる、ということは決してありません。神は常に私たちを探し、待っていてくださるのです」と強調された。

 「神の公平な補償」について教皇は、このたとえ話の究極のメッセージ、つまり「人間の理解を超えた神の正義」を指摘された。

 「最後に雇われた労働者に、最初に雇われた労働者と同じ賃金が支払われます。それは、『神の正義』は(人間の考えている正義よりも次元が)はるかに高いからです」と説かれた教皇は、「人間の正義は、私たちそれぞれの業績に応じて、当然の報いを受けることを定めていますが、神の正義は、私たちの成果、達成度、あるいは失敗で、愛を判断しません… 神は、私たちが『神の子だ』という理由だけで、無条件かつ無償の愛をもって私たちを愛してくださっているのです」と強調された。

 ” 打算的な正義”の基準から解放されるこのような受け止め方を勧める一方で、教皇は信者たちに対して、「神の寛大な恵みよりも自分自身の能力に頼る傾向、そして、神との間に”取引”の関係を造ろうとする傾向」に陥らないよう警告された。 そして、「神が、私たちに対して抱いているのと同じように、すべての人を愛しておられることを忘れず、教会が自分を優れていると考えることなく、すべての人に手を差し伸べるように。人間関係において”計算ずくの正義”の物差しから自由になり、イエスの教えどおりに、他者に対する寛大さ、理解、そして赦しを実践するように」と促された。

 最後に、教皇は、 「聖母マリアが、私たちが神の尺度、つまり無限の愛の尺度に回心するのを助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年9月24日