Pope Leo XIV with Bishops during their Jubilee pilgrimage to St Peter’s Basilica (@Vatican Media)
(2025.6.25 Vatican News Christopher Wells)
教皇レオ14世は25日、「司教のための聖年」の黙想を主宰され、講話の中で、世界中から集まった司教たちに、 「神にしっかりと根ざし、教会への奉仕に完全に献身する生活 の模範を通して、『希望の証人』にならねばなりません」と注文を付けられた。
講話で教皇はまず、「司教は、羊飼いである前に、羊であり、主の群れの一員です」と強調。「もし、私たちの世話を委ねられている教会を導くのであれば、イエスの御心とイエスの愛の神秘に完全に一致するために、『良い羊飼い』であるイエスによって、自分自身を深く新たにされれねばならない」と強調された。
そして、2025年の聖年のテーマである 「希望は失望させない 」を思い起こしながら、司教が 「神にしっかりと根ざし、教会の奉仕に完全に献身する生き方」の模範によって、いかに強く、「希望の証人 」となることを求められているかについて考察された。
*目に見える一致の原則
教皇はまず、それぞれの教会における 「目に見える一致の原理 としての司教」に焦点を当てられ、「教会の成長と福音の広がりのために与えられた、さまざまな賜物と務めを育むことによって、そのメンバー間と普遍教会との交わりを築くことが司教の務めです… この奉仕において、司教は 特別な神の恵みに支えられ、『信仰の教師』であり『聖化の奉仕者』であることを助けられ、「神の国への献身を強めていくのです」と説かれた。
*神学的な生き方をする人
さらに、司教は「神学的な生活を送る人」、すなわち、「信仰と希望と慈愛で満たしてくださる聖霊の促しに完全に従順な人 」であり、信仰の人である司教は、モーセのように、「前を見て、ゴールを垣間見、試練の時に忍耐する 」執り成し手として行動する。希望を通して、司教は「民が絶望しないように、言葉だけでなく、民に寄り添い、安易に解決策を提供するのではなく、簡素さと連帯のうちに福音を生きようと努力する共同体の経験を提供する必要があります」と述べられた。
さらに、「信仰と希望」という神学的徳は、「司牧的慈愛の人として」、羊飼いであるキリストの慈愛によって常に鼓舞され、突き動かされる司教の中で一体となる、とされ、「司教は、日々、聖体からもたらされる恵みと自らの祈りの生活を糧として、自分が世話をするすべての人々に友愛の模範を示すのです」と強く促された。
*司教に不可欠なその他の徳
教皇は続けて、司教に必要な他のさまざまな徳について言及され、特に司牧上の慎重さ、福音的清貧、独身における完全な禁欲という 「不可欠な徳 」を指摘。「司教は、スキャンダルを引き起こしかねない状況や、虐待のあらゆる事例、特に未成年者が関係する事例に断固とした態度で対処し、現在施行されている法律を十分に尊重して対応せねばなりません」と強調された。
さらに、「司教は 人間としての美徳を培うよう 求められており、特に第二バチカン公会議が強調した公正さ、誠実さ、自制心、忍耐力、傾聴と対話の能力、奉仕の意志を含む美徳を培うよう求められているのです」と強く語られた。
*交わりの人たち
講話の最後に教皇は、「聖母マリアと聖ペトロとパウロの祈り」が司教とその共同体にとって最も必要な恵みを得ることができるように、と願われ、特に、司教たちが 「交わりの人となり、常に教区司祭座の一致を促進する助けとなるように」と祈られ、「その交わりの精神は、司祭たちの司牧的働きかけを励まし、教会を一致のうちに成長させるのです 」と強調して締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)