(2024.8.5 Vatican News Christopher Wells)
ローマの「聖マリア大聖堂」の献堂を記念する5日、教皇フランシスコは同大聖堂で夕べの祈りに参加され、戦争で荒廃している世界の平和を祈られた。
この大聖堂は、もともとは教皇リベリウス(在位352-366)によって建設された。伝承によれば、385年の8月4日から5日にかけての夜、「ジョヴァンニ」という名のローマの貴族と教皇リベリウスの夢に聖母が現れ、「しるしによって示す場所に教会を建てるように」と勧め、翌朝、真夏にもかかわらず、エスクィリーノの丘には雪が積もっていた。教皇は、積雪の形に沿って外郭を定め、同じ夢を見たジョヴァンニの協力を得て、西洋最古の聖母巡礼地となる教会を建てた。約100年後、教皇シスト3世(在位432-440)が聖堂を修復・再建し、8月5日をその献堂の日とした。この献堂の祭日が早くから祝われていたことは、5世紀の『ヒエロニムス殉教者暦』などの史料からも明らかになっている
教皇は説教で、奇跡的な降雪の「驚異」と「驚き」を強調し、その素晴らしさと無償性から「恵みの象徴」とされ、「恵みは当然ながら、自分で得ることはできず、買うこともできません。賜物として受け取るしかありません… ですから、ローマの真夏の降雪のように、まったく予測不可能です」と述べられた。
そして「このような受け止め方をすれば、大聖堂に関係する重要な『しるし』、つまり聖母マリアの聖画像、Salus Populi Romani すなわち『ローマの人々の救い』を理解することができます」と語られ、この聖母マリアと幼子の像が「宗教の領域に常に潜んでいるあらゆる神話的、魔術的、霊的装いが剥ぎ取られた、具体的な形での恵みを表現しています… つまり、すべての時代の前に選ばれ、降りたての雪のように汚れのないマリアと、その幼子にのみ、神性の豊かさのすべて宿っているのです」と強調された。
さらに、「これが、信者たちが神の聖母に祝福を求めに来る理由です。なぜなら、聖母は聖霊の働きによって常にイエス・キリストを通してのみ得られる恵みの仲介者だからです」と説かれた。
また教皇は、5日の祝祭に参加した人々は、ローマと全世界のためにマリアの執り成しを願いながら、来年の聖年のためにローマに来る多くの巡礼者たちに先駆ける、一種の「先鋒」になっている、と指摘され、「巡礼者たちは特別な方法で、『真の平和』の賜物を求め、マリアに執り成しを求めます。そして、『真の平和』は、『悔い改め赦された心』、『キリストの十字架から来る平和』、そして『キリストが私たちの罪の赦しのために流された血から来る平和』によってのみ、もたらされるのです」と強調された。
最後に教皇は、聖母マリアに語りかけアレクサンドリアの聖キリルの言葉で説教を締めくくりられた―「神の聖母マリアよ、光の担い手、汚れのない器よ。母であり侍女である聖母マリアよ、おとめよ、あなたから生まれた神の御名のために。母よ、あなたが腕に抱いた神の御名のために… おとめよ、マリアよ、あなたは全世界で最も尊い存在です… 消えることのない灯火よ。あなたから正義の太陽が生まれたのです。神の聖母よ、私たちのためにお祈りください」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)