(2024.10.13 Vatican News Christopher Wells)
年間第28主日、13日の正午の祈りの説教で、教皇フランシスコは、「永遠の命を受け継ぐために何をせねばならないか」をイエスに尋ねた金持ちの若者について記した福音書の箇所を考察された。
教皇はまず、名前が書かれていないこの若者が「イエスのもとに『走って』来た」という表現に注目。
「この若者が、富があるにもかかわらず、不満や落ち着きのなさに駆り立てられたことを示しています。彼はより充実した人生を求めていたのですが、これは多くの富を持つ人々によくあることです」と語られた。
一方、イエスは愛情をもってこの男に目を向け、持っているものをすべて売り払い、貧しい人々に与え、自分について来るように勧められた。
教皇は、「しかし、この時点で予想外の結末が訪れます」とされ、「男は悲しくなり、立ち去ります。『イエスに会いたい』という彼の願いは、なんと強く衝動的だったことでしょう。そして、イエスのもとを去るのは、なんと冷たく素早いことでしょう!」と語られた。
「私たちも幸福と意味のある人生を求めているが、この金持ちの若者のように、『物質的な財産と安全が自分の願いを満たしてくれる』とあまりにも頻繁に考えすぎます」と注意され、「しかし、イエスは私たちに、『自分たちが切望する善は神ご自身であり、神の自分たちへの愛であり、神だけが与えることのできる永遠の命』であることを発見してほしい、と願っておられるのです」と指摘。「真の富とは、イエスが金持ちの若者を見たように、神に愛をもって見守られることであり、私たちの人生を他者への贈り物として互いに愛し合うことです」と説かれた。
教皇は、イエスが私たちに「愛のリスクを負う」ように、つまり「自分自身と偽りの安心感を、捨て去る」ように勧められるのは、「私たちが持っているもの、才能、友情、時間を分かち合うことで、困窮している人々に気を配るため。イエスの言葉が意味していたのは、まさにこれです」と強調された。
説教の最後に教皇は、信者たちに「自分の心は何に執着しているのか? 何が自分を幸せにするのか? 自分は困っている人々と分かち合っているのか?」と自問するよう勧められ、もう一度、「真の富はこの世の善にあるのではなく、神に愛され、神のように愛することを学ぶことにある」と念を押された。