(2024.12.15 Vatican News Lisa Zengarini)
15日、日帰りでコルシカ島を訪れた教皇フランシスコはアジャクシオで開かれた「地中海における民間信心」に関する会議で講演され、世俗化が進む社会や教会共同体において、福音宣教を促進する手段としての民間信心の重要性を強調された。
教皇は、「民間信心は、時代遅れの民俗学的な表現ではなく、今日、福音宣教のための強力な手段となり、教会共同体の育成と帰属意識の醸成につながる可能性があります」と説かれ、「信仰の表現としての『積極的な福音宣教力』を世俗化された社会において軽視すべきではない」としたうえで、キリスト教文化と世俗文化の建設的な対話を呼びかけられた。
講演の冒頭で教皇は、「多くの高度な文明の発祥地」である地中海が、歴史的に文化、思想、そして現代世界に影響を与え続けている法的・制度的枠組みの交差点として機能してきたこと、そして、神と人類の対話がイエス・キリストの受肉において頂点に達した場所であることを思い起こされた。
そして、キリスト教信仰が何世紀にもわたって人々の生活や政治制度に影響を与えてきたが、今日、人々は「特にヨーロッパ諸国において」、神の存在や神の言葉に対して「ますます無関心」になっている、と指摘。これが、「性急な考察やイデオロギー的な判断、すなわち現代においてキリスト教文化と世俗文化を対立させるような判断」につながってはならない、と説かれた。
そのうえで教皇は「この2つの地平線の相互開放性を認識することが重要です… 信仰を持たない人々や宗教的実践から距離を置く人々も、真実、正義、連帯の探求に無縁ではない、ということも考慮すべきです」とされ、「たとえ彼らがどの宗教にも属していなくても、彼らの心の中には大きな渇望、意味を求める探求心があり、それが彼らを人生の神秘について考えさせ、共通善のための基本的な価値観を模索させるのです」と語られた。
さらに、「私たちは民間信心の素晴らしさと重要性を理解することができます… 民間信心は、信仰心の深い人々や信仰から遠ざかっている人々にも、彼らの精神的なルーツとつながることを可能にします」と述べられ、「人々の文化に根ざしたシンプルなジェスチャーや象徴的な言語を通して信仰を表現することで、民間の信心は、歴史の生きた肉体の中に神の存在を明らかにし、教会との関係を強化し、しばしば出会いや文化交流、祝祭の機会となるのです」と強調。
「民間の信心は、信仰がいったん受け入れられると、それが文化に具現化され、絶えず受け継がれていく様子を私たちに理解させてくれます。その結果、民衆の信心は、私たちが軽視してはならない積極的な福音宣教の力となります。それを軽視することは、聖霊の働きを認識できないことを意味します」と述べられた。
一方で教皇は、民間の信心を、より深い精神的な関わりを欠いた単なる表面的な儀式や民俗学的な儀式に、あるいは迷信にしてしまう危険性も指摘され、「慎重な神学的および牧会的識別」による警戒を呼びかけられた。
続けて、民間信心が社会全体にもたらすポジティブな影響について触られ、「個人的な問題に留まらない真の信仰」を育むことで、「人間としての成長、社会の進歩、そして創造物の保護」を促進することに尽力している、と指摘。民衆の信心は社会の共同体の絆を強め、「建設的な市民」を育み、世俗的な市民および政治機関との「貧しい人々をはじめとするすべての人々のために、人間としての総合的な成長と環境保護を目的とした協力」を可能にする、と述べられた。
そして、「共同体全体の利益」のために市民と教会当局が建設的かつ敬意を持って協力することは、「故ベネディクト16世が『健全な世俗性』と呼ばれたものの例。この健全な世俗性は、宗教の政治化を防ぎつつ、政治が倫理的・精神的価値観に導かれることを保証するものです」と強調された。
講演の結びで、教皇はコルシカのカトリック信者たちに、根付いた宗教的伝統と教会と市民・政治機関との間の既存の対話を継続的に育むよう促され、若者たちに対しては、「確固とした理想と共通善への情熱に鼓舞され、社会、文化、政治の生活により積極的に関わるように」と励まされ、さらに、教会の牧師や政治指導者たちに対しては、人々のニーズや希望に注意を払い、「人々に寄り添う」よう求められた。
最後に、教皇は、「民衆の信心に関する会議」が「福音と共通善への新たな献身を促し、信仰と奉仕に根ざしたものとなること」に期待を表明され、「この民衆の信心に関する会議が、皆さんの信仰の根幹を再発見し、教会や市民社会において福音とすべての市民の共通善のために奉仕する新たな取り組みの成果をもたらすことを願っています」と激励された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)