☩「権力の誘惑に惑わされ、イエスの道からはずれることのないように」教皇、21人の新枢機卿たちに

(2024.12.7 Vatican News  Linda Bordoni)

教皇フランシスコ7日夕、21人の新枢機卿任命の枢機卿会議での説教で、「権力の誘惑に目を奪われることなく、常にイエスの道を歩み、出会いに情熱を傾けるように」、そして、「謙虚さ、驚き、喜びと共に、イエスの道を共に歩むように」と新枢機卿たちを戒められた。

 説教で教皇は、「イエスがエルサレムに登られたのがこの世の栄光のためではなく、神の栄光のためであったように、あなたがたも主を真ん中に置き、交わりと団結の建設者となる必要があります」と念を押され、枢機卿とは「地上のすべての人々に神の慈悲深い愛を告げ続ける教会の普遍性を表現するもの」と指摘された。

 

*神の御前で謙虚に立て

 教皇は、マルコ福音書を引用して「イエスは、エルサレムで十字架上で亡くなられることにより、人々を復活へと導く… 弟子たちは勝利を収めた救世主の”円滑な下山ルート”を考えていましたが、イエスは、『カルヴァリオへ続く困難な上り坂』を選ばれたのです」とされた。

 そして、「私たちにも同じことが起こり得ます… 私たちの心は迷うことがあります。権威の魅力や権力の誘惑、主に対する行き過ぎた熱心さに目を奪われることがあります… だからこそ、私たちは内省し、謙虚な姿勢で神の御前に立ち… 自問する必要があります―『私の心はどこに向かっているのか? どこに向いているのか?』『 もしかしたら間違った道を選んでしまったのではないか?』と。私たちは自己を顧み、謙虚な気持ちで神の御前に立つ必要があるのです」と説かれた。

 

*イエスの道を歩むことは、すべてにおいてイエスを中心に据えること

 また教皇は、「新枢機卿たちがイエスの道を歩むためにあらゆる努力をするよう求められていること」を強調。「イエスの道を歩むこととは、何よりもまず、イエスのもとに戻り、すべてにおいてイエスを再び中心に据えることです」と述べ、「本当に重要なことを覆い隠してしまうような、二次的なことや外見に目を向けるように」と注意された。そして、「『枢機卿』という言葉は、ドアを固定し、支え、補強するためにドアに挿入される蝶番を意味します… 愛する兄弟たちよ、イエスは私たちの真の支えであり、私たちの奉仕の『重心』、私たちの生活全体に方向性を与える『基点』です」と語られた。

 

 

*出会いに情熱を傾け、「敵対の壁」に捕らわれないように

 続けて「イエスの道を歩むことは、出会いに情熱を傾けることでもあります」、そして、「イエスは決して一人では歩みませんでした」とされた教皇は、「イエスは、傷ついた人間性を癒し、心の重荷を軽くし、罪の汚れを清め、奴隷状態の絆を断ち切るために来られました… その道中で、苦しむ人々や希望を失った人々の顔に出会われました。倒れた人を起こし、病める人々や心の傷ついた人々を癒されました」と述べられた。

 そして、「『イエスの歩まれた道を歩む』ということは、つまるところ一致と団結を築くことなのです」と語られ、「同じ父の子供である」という自覚を妨げる「競争という虫」と「敵対の隔ての壁」に捕らわれないように、新枢機卿たちに警告された。

 説教の最後に教皇は、(異なる背景や文化を持つ中でカトリック教会の普遍性を象徴している)新枢機卿たちに対し、「兄弟愛の証人、交わりの職人、そして団結の建設者」となるよう促され、聖パウロ6世教皇の枢機卿任命式における演説を引用して、「私たちの願いは、教会の家族の誰もが居心地良く感じ、排除や孤立がなく、愛の一致にとって有害であることを証明し、他者の犠牲のもとに一部の者が優位に立つような努力をすることのないようにすることです」と強調。「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに仕え、福音の奉仕者となりなさい」と励まされた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二

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2024年12月8日