教皇フランシスコは6日朝、聖ペトロ大聖堂で「主の公現」の祭日ミサを捧げられた。
「主の公現」の祭日とは、ベツレヘムで生まれた幼子イエスのもとに東方三博士が訪問した出来事や、ヨルダン川におけるイエスの洗礼、カナの婚礼でのイエスの最初の奇跡など、キリストが公に人々の前に姿を現され、キリストを通し、神の栄光がすべての人に現れたことを記念する日。1月6日に祝われるが、日本の教会では2日から8日の間の主日に記念されることになっており、今年は7日だ。
ミサ中の説教で教皇は、「お生まれになったばかりの王」を探しに旅に出る東方三博士の姿について、「神を求めて歩む民、遠くから神のもとへと近づいていく人々の巡礼をイメージさせるもの」と話された。
そして、旅する博士たちの姿、態度から、「天を見つめる眼差し」「大地を歩む足」「礼拝のうちにひれ伏す心」の3つを指摘。
「天を見つめる眼差し」について、「彼らは自分の世界や、地上的な考えだけに閉じこもることなく、顔を上げ、自分たちの人生の意味を照らす光、天から来る救いを待ち望み、空に一つの星が現れるのを見ると、星々の間で最も明るく輝くその星に惹かれるままに歩んでいきました」と語られた。
また、東方三博士はそれだけでなく、「大地を歩む足」を持っていた、とされ、「輝く星は、彼らに地上の道を低く歩ませ、飼い葉桶の中の幼子の前で身をかがめさせました。それは、無限に大きい神が、幼子の小ささの中にご自身を現されたからです」と説かれた。
そして、信仰の賜物は、「天を見上げさせるだけでなく、福音の証し人として、私たちにこの世の道を歩かせ、兄弟たちと出会わせます」と語られた。
さらに、博士たちには「礼拝のうちにひれ伏す心」がそなわっており、ベツレヘムに着いて、幼子イエスを見ると「ひれ伏して拝んだ」( マタイ福音書2章11節)。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。
教皇は、「黄金は『王』を、乳香は『神』を、没薬は『死』を象徴するもの」とされ、「私たちに仕えるために来られた王、人となられ、私たちへの愛のために亡くなられた神-これらの神秘を前に、私たちは心を低くし、礼拝するためにひざまずくように、勧められています」と強調された。
説教の最後に教皇は「東方の三博士のように、眼差しを天に上げ、主を探すために歩み、心を低くして拝みましょう」と信者たちを促され、「神を探す勇気」「この世を忍耐強く歩む勇気」「すべての人を照らす神を見つめ礼拝する勇気」を私たちにくださるよう、主に祈られた。
(編集「カトリック・あい」)