“Proyecto Ugaz” photo credits Francisco Rodriguez Torres
(2025.6.21 Vatican News Salvatore Cernuzio)
教皇レオ14世は、ペルーの首都リマで上演中のパオラ・ウガス氏の調査報道における功績を称える演劇『Proyecto Ugaz 』にメッセージを送られ、性的虐待を含めた教会における、いかなる虐待に対しても「ゼロ・トレランス(いかなる行為も容赦なる罰すること)」で対応する文化の徹底、(虐待行為を摘発する)報道の自由の擁護を呼びかけられた。
ウガス氏は、ベル―で強い影響力を持っていた信徒運動体、「キリスト教生活ソダリティウム(Sodalitium Christianae Vitae」(カトリック教会の使徒生活協会の一つ。1971年にルイス・フェルナンド・フィガリによってペルーで設立されたが、度重なる不正行為と汚職が明らかになり、バチカンによって、2025年4月14日に解散させられた)に関する調査報道を続け、そのために嫌がらせや取材妨害を受けて来た。
今でも、法的な嫌がらせやオンラインによる攻撃にさらされており、2022年11月、彼女は教皇フランシスコに自身含む4人のジャーナリストの保護を求め、教皇は彼らに支持を表明された。教皇レオ14世もそれを受け継いで支持を続けておられる。
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『Proyecto Ugaz 』の演劇の中で読まれたメッセージで教皇は、虐待を摘発するジャーナリストを賞賛され、「彼らを黙らせることは民主主義を脅かし、正義と真実を求める福音の呼びかけを損なうことにつながります」と指摘。そして、あらゆる形態の虐待に反対する、文化的変革がカトリック教会に求められており、「権力や権威の乱用、良心や霊性の乱用、性的乱用など、いかなる形態の乱用も許さない文化を、教会全体に根付かせる必要がある」と強調された。
教皇はさらに、ウガス氏の例を引き、「報道の自由を断固として擁護する必要がある」と言明、 「ジャーナリストが沈黙するたびに、国家の民主主義の魂は弱まっていくのです」と警告された。
そして教皇は、メッセージで3つの感謝の言葉を述べられた。
まず、『Proyecto Ugaz 』の 制作者たちに対して。
「この作品は、単なる演劇 ではなく、記憶であり、抗議であり、そして何よりも正義の行為。長い間沈黙していた痛みに声を与えました」と讃えた。そして、「ソダリティウムのかつての霊的家族の犠牲者たちは、勇気と忍耐と真実への献身をもって彼らを支えたジャーナリストたちと共に、傷つきながらも希望に満ちた教会の顔を映し出しています。あなた方の正義のための戦いは、教会の戦いでもある。人間の肉体と魂の傷に触れない信仰は、福音を理解していないのです」と強く指摘された。
続いて、無視され、信用を失い、法的攻撃を受けながら、耐え忍んできた人々に対して。
教皇は、教皇フランシスコが困難なチリ訪問と虐待被害者との面会の後に書かれた2018年の「Letter to the People of God (神の民への手紙) 」を思い起こされ、 「被害者とその家族の痛みは、私たちの痛みでもあります。未成年者と弱い立場の成人を守るために、私たちの決意を新たにすることが急務です」と強調。
「真の教会改革とは、”修辞”ではなく、謙遜、真実、償いの具体的な道の歩み。予防とケアは単なる”司牧的戦略”ではありません」と念を押された。
そして、勇気をもって教皇フランシスコに訴えたウガス氏、複数の国で活動するペルー発祥の信徒団体による虐待を暴露したウガス氏と仲間のジャーナリスト、ペドロ・サリナス、ダニエル・ヨヴェラ、パトリシア・ラキラの勇気を讃え、カタカオスやカスティーリャのような共同体全体に影響を及ぼす経済的虐待を含む、ソーダリチウムによって 引き起こされたより広範な害を認め、5月12日のメディア関係者に対する発言は「単なる形式的な挨拶ではなく、ジャーナリズムの神聖な役割を改めて確認したもの。真理を求め、守り、奉仕することは、すべての人の責任です」とされた。
さらに、現在の制度的・社会的緊張の時代に、「自由で倫理的なジャーナリズムを守ることは、正義の行為であるだけでなく、強力で参加型の民主主義を目指すすべての人の義務です」と言明。「地域ラジオ放送から大手メディアに至るまで、地方から首都に至るまで、誠実に真実を報道する人々を守るよう、ペルー当局、市民社会、そしてすべての市民に訴えます。ジャーナリストが沈黙すればするほど、その国の民主主義の魂は弱まるのです」と強く訴えられた。
最後に教皇は、すべてのペルーのマスコミ関係者に心からのメッセージを送られ、「あなた方は仕事を通じて、平和、団結、社会的対話の建設者となることができる。そして、誰も沈黙の中で苦しむことのない教会、真理が恐れられることなく、解放への道として受け入れられる教会への希望の表明となる」と、励まされた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)