Pope Francis speaks on the program “Journeys of the Heart”
(2023.2.18 Vatican News Salvatore Cernuzio)
教皇フランシスコは、イタリアのテレビ局「Canale 5」が18日朝放送した特別番組「Journeys of the Heart」に出演され、戦争によってもたされた苦しみと、人生への失望の中にあっても、神の計画に信頼することの重要性を強調された。
*悪いものに執着してはならない
インタビュアーの質問は教皇が大切にしていることー「記憶」から始まった。教皇は「記憶を育てるのは恵みです… 記憶の恵みは、私たちを現在置かれている状況の根源に導きます」と強調された。
そして、 2022 年 11 月にピエモンテにいる親戚を訪問したことを思い出しながら、「人生の終わりに近づいている私のように、自分が生まれ育った場所… 記憶とつながる重要な場所に、私たちの人生を特徴づける人々がそこにいる。旅をするのはいいことです」と語られた。
ただし、「記憶の旅には、危険も潜んでいます。私たちは皆、人生で悪いこと、苦しみを経験してきましたが、私たちには、そのような人生の失敗に固執する病いがある。ただ痛みをもたらし、悪いことを起こします」とも忠告されたうえで、「でも、そういうことを思い出し、そこから私たちを助け出してくださった神に感謝しましょう。私たちはそこに戻ってはなりません。なぜなら、それは病いだから。過ち、悪いことの付着物のようなものだからです」と述べられた。
*コロナ大感染、そして熾烈な戦争…”人類荒廃”の時代
また教皇は、「私たちの現代には、悪いことが頻繁に起きています。私たちを弱体化させた新型コロナウイルスの大感染から抜け出したばかりの今、戦争が起きています。(ロシアがウクライナに仕掛けた)この戦争は熾烈で、経済・金融危機も引き起こしている」と嘆かれ、「特に欧州がひどい状態になっています。例えば電気代を支払えない人がいます。極端な節約を強いられる人もいる。”人類荒廃”の時代… (戦争で)命を落とし、負傷し、拷問される人々もいます」と訴えられた。
*ウクライナの子どもたちから笑顔が奪われている
戦争が子供たちに深刻な影響を与えていることにも言及され、「子供たちは笑い方を忘れてしまっています… とても多くの子供たちがウクライナからここ(イタリア)に避難してきていますが、彼らは笑顔を見せません。素晴らしい子供たちなのに、笑いません。 子供病院を訪問しましたが、怪我をして入院しているウクライナの子供たちは、誰も笑顔を浮かべませんでした」と語り、「子供から笑顔を奪うのは… 悲劇です」とされた。
さらに、「私たちの時代は、武器の販売が最大のマーケットになる時代です。 ある専門家に言わせれば、1年だけ 武器売買が止まり、その分の金額が食糧援助に回れば、 世界の飢餓は終わる、ということです。 戦争は武器を必要とします。ではなぜ戦争をしようとするのでしょう。国際的な力が少しでも弱くなると、力を取り戻すために戦争が必要になる… 恐ろしいことです」
*だが希望を失わず、”地平線”に目を向ける
だが教皇は、このような時代にあっても、「希望を失わず、さまざまな”地平線”に目を向ける」ことが必要、とされ、「人生の”地平線”を見ることは、希望を見ることを意味します。また、『歴史が、あなたと共に終ることはない』ということを理解する必要があります。歴史は、私の祖父の時代で終わらず、その次の、またその次の、そしてその次の時代で終わることはないーそのように見ることが、『歩き続ける勇気』をくれるのです」と強調。
また、その際に、心理学で言う「ダチョウ効果」(都合の悪い状況に出会うと、それを存在しないものとみなして避ける傾向のこと)や、独りよがりの自己反省に陥ったりしないように注意され、「自分 だけを見る人は、地平線を見るのと逆のことをしています。地平線は私たちにすべてのことを考えさせるー”希望の美徳”の基礎です」と語られた。
そして歴代の教父たちが、希望を「錨」として思い描いていたことを思い起され、「海でも川でも、あなたは、安全確保のために錨を投げ、ロープにしがみつく。 だが、水平線を見ないと錨を下ろすことができません」とされ、「今は困難な時期ですが、私たちの希望は主にあります。多くの苦しみを伴う、難しく厳しい状況の置かれていますが、私たちにはロープと錨があります。これが 『痛みと希望』の神秘です。 “
*信仰を持つ人、持たない人に対して
「信仰を持たない人々に対して、何を言うことができるか」との問いに、教皇は「信仰を持たないことは、罪ではありません」と答えられ、「信仰は神からの贈り物です…. 信仰の賜物を持っていない善良な人々ー非常に善良な人々ーがいます。そのような人々に、私は言えるのはこれだけですー「心を開き、探し求めなさい。探すことに飽きてしまわないように。苦悶せず、自然体でオープンにしてください」と。
また信仰を持っている人に対しては「”異教徒”として生きることのないよう注意せねばなりません。信者の中には“偽クリスチャン”、あるいは私の祖母が言っていた”バラ香水クリスチャン”のような生活をしている人がいます」とされ、「そういう人には、『あなたの人生を変えなさい!』と言い、こう尋ねますー『 あなたの人生はどのようなものですか? それは正しい人生ですか? それは他人に奉仕する人生ですか? お金を無駄にするの人生ですか?』と」。
*富は罪ではない、虚栄心にまみれたライフスタイルが問題だ
富に関する質問に対して教皇は、「ある紳士が私に、『ローマには(高級)レストランがいくつもありますが、食事に2人招待すると 1700 ユーロ(約24万円)になります』と言っていました。飢えている人たちがいるのに、どうやってそのように高価な食事ができるのでしょう。そのように暮らすことができるでしょうか?… 『神父さま、共産主義者にならないでください…』と言う人がいたら、私は言います―『それが福音と言うものです』と」と答えられた。
そして「でも、金持ちが悪い、と言っているわけではありませんが、私たちの信仰を定義するのに役立つのは、私たちの『行動』です。私たちのライフスタイルが”異教徒”である場合、他の人は『あなたがたには信仰がないか』とか、『ニスのように薄い信仰だ』と言うでしょうー人生は、信仰というニスで塗られているが、根がない、と」とされた。
教皇は、バチカンのあるカメラマンがローマの路上で撮影した写真ーレストランから出てきた身なりの良い年配の女性が、施しを求める物乞いを無視して通り過ぎようとしているいる写真ーを取り上げ、「虚栄心や生き方の陰に隠れて、何か、あるいは誰かに気付かなければ、自分自身に閉じこもっていることになる… あなたの兄弟の肉は、あなたの肉と同じです。 もしかしたら、明日には、あなたがその立場にいるかもしれません… 傷ついた肉に触れることを恐れないように」と忠告された。
*頑なになった心を和らげる
また教皇は「頑なになった心を和らげるのは非常に難しい。主は何度も、病気などの悪い状況を用いして、人の心を変えようとされます。 私たちはいつも主に願わねばなりません―『頑なな心になりませんように。人間的に振舞い、すべての人のそばにずっといることができますように』」とされ、「ウクライナの孤児のために、今日、何人が涙を流しているでしょうか?表に現わさなくても、心で泣いていますか? 何人が苦しんでいますか? 孤独ゆえに盗みを働くストリートチルドレンのために何人が苦しんでいますか?」と問いかけられた。
さらに、このインタビューが行われた教皇のお住まい、聖マルタの家のアトリウムに架けられた絵ーピエモンテの画家が、息子を連れて逃避するシリア人の写真をもとに描いた「Forced to Flee Like They」と題された絵ーを指して、「イエスとその家族のエジプトへの逃避は、『天使の乗った競走用二輪馬車』に乗ってなされたと考えられています。この絵のようだったのでしょう。このような逃避行はイエスによって経験され、非常に多くの人々によって経験されてきました」と語られた。
*悩みは尽きないが、必ずしも悪いことではない
インタビューの終わりに、教皇は、3月13日に、ご自分の教皇職就任10周年を迎えることに言及され、教皇に選出された時のことを思い起こされて、「可哀想なペトロ、なんという後継者を見つけたんだ!」 と笑いながら大声を上げ、 「こんなことになるとは想像もしていませんでした、それでも、当時大司教として働いていたブエノスアイレスからローマへの”移籍”は自然な形でなされました」と回想された。
そして、教皇就任から10年が経とうとしている今、「悩みが尽きることはない」としつつ、「それは必ずしも悪いことではありません。 むしろ、悩みは”気づき”のきっかけになり得るのです」と語られた。
そして最後に、視聴者たちに、 「私のために主に祈ってください。私が”異教”の教皇ではなく、キリスト教の教皇であるように、キリスト教徒として生き、神の聖なる忠実な民である教会を助ける恵みを、主が与えてくださるように」と願われた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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