☩「慈善の富を捧げ、パンを分かち合い、愛を増やそう!」-「貧しい人のための世界祈願日」に

(2023.11.19   Vatican News)

 教皇フランシスコは19日の「貧しい人のための祈願日」に、聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられ、その説教で、「私たちを富ませるために貧しくなられた、イエスの旅」と、「慈善の富を差し出し、パンを分かち合い、愛を増やすように求められている、私たち自身の人生の旅」を思い起された。

 説教で教皇は、この日の福音の箇所(マタイ25章14‐30節「タラントンのたとえ話」)をもとに、イエスの旅と私たちの人生の旅を思い起こされた。そしてまず、イエスの受肉、復活、昇天の旅路を取り上げ、「イエスは私たちに、ご聖体と命の言葉、私たちの母となられたイエスの聖母、そして聖霊の賜物という『富』を残してくださいました」と語られ、これらすべての富や”タラントン”が私たちに無償で与えられたのは、私たちが主から託された「日常生活、社会、教会における各人の使命」を果たすべく働きを続けることができるためだ、と強調された。

 そして、 「父なる神の手からすべてのものを受け取ったにもかかわらず、この宝を自分のものにしておかなかったイエス」に目を向けられ、「イエスは私たちのために、私たちのために生きてくださいました。 それが父のもとに戻る前のご自身の目的だったのです」とされ、さらに、「歴史の『清算』をし、私たちを永遠の命の喜びに導くために、イエスの旅は、栄光のうちに再臨される世の終わりまで続きます」と説かれた。「ですから、私たちは、『主が再臨されるとき、どのような状態で自分を見つけてくださるだろうか』と自問することが重要です」と付け加えられた。

 続けて 教皇は、私たち自身の人生の旅に注意を向けられ、「イエスの歩まれた道か、それとも自分本位の道か、どちらの道を歩むのか。私たちは自分自身に問い掛ける必要があります」とされたうえで、「 イエスの道の歩むためには、私たちがいただいた”タラントン”、つまり『キリストが御父のもとに戻るときに私たちに残してくださった主の賜物』を活用することを必要です」と指摘。

 さらに「そうした賜物とともに、神は私たちに聖霊を与えてくださいました。聖霊のおかげで、私たちは神の子どもとなり、福音を証しし、神の国の到来のために働くことに人生を費やすことができるのです」、そして、「 私たちに託された膨大な”資本は、主の愛であり、私たちの人生の基盤であり、旅の強さの源です」と語られた。

 教皇はまた、「たとえ、他者のことに関心がなく、他者と関係を持たず、自分のことにだけ関心があり、その”宝”を埋めてしまう、という選択肢が与えられていたとしても、「主からいただいた富を増やし、自分の人生を他者のための愛の捧げ物とするように、私たちは求められているのです。 イエスが私たちを気遣ってくださった愛、憐れみの香油、私たちの傷の手当てをしてくださった寄り添いの心、私たちの心を喜びと希望で満たしてくださった聖霊の炎、これらすべては、私たちがただ守るだけでは、いられない宝なのです」と強調。

 さらに、教皇は「世界中で続いている大きな苦難、貧困の拡大と、騒がしく、気分散漫な社会の無関心の中で、痛みの叫びが聞き入れられず、忘れ去られた貧しい人々」を思い起こされ、抑圧されている人、疲れている人、疎外されている人、戦争の犠牲者、難民、飢えている人、失業している人、希望を失った人たち… 私たちの世界に、膨大な数の貧しい人々がいることを考えると、今日の福音のメッセージは明らかです。主の富を、埋もれさせないようにしましょう! 慈善の富を広め、パンを分かち合い、愛を増やしましょう!」とすべての人に呼びかけられた。

 最後に 教皇は、「主が再臨される時、他者を愛し奉仕するために私たちに与えられた賜物をどのように活用したか、私たちと貸し借りの清算をなさいます… 私たち一人一人が、いただいた賜物と私たちに託された使命に従って、慈善の行為が実を結ぶよう努め、貧しい人に寄り添うことができるように祈りましょう。 旅の終わりに、ご自分を明かされた兄弟姉妹たちの中にキリストを迎え入れ、私たちもキリストからこう言われるように、祈りましょう-『よくやった。良い忠実な僕だ…主人の祝宴に入りなさい』(マタイ25章21節)」。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2023年11月19日