(2024.10.20 Vatican News Linda Bordoni)
教皇フランシスコが政界宣教の日の20日、聖ペトロ広場で、信仰を捨てることを拒んだためにシリアで殺害された11人の殉教者を含む14人の新聖人の列聖ミサを主宰され、彼らがイエスに倣って奉仕の生き方をしたとして、彼らのキリスト教徒としての証しを支持された。
列聖ミサの説教で教皇は、「新しい聖人たちはイエスの生き方、つまり奉仕を生きました… 彼らが実践した信仰と使徒職は、世俗的な欲望や権力への渇望を満たすものではなく、兄弟姉妹の奉仕者となり、善行に創意工夫を凝らし、困難にも屈せず、最後まで寛大でした」と讃えられ、「彼らの証しは、私たちキリスト教徒に、『栄光を求めるな。奉仕せよ』というイエスの招きに耳を傾けるよう促しています」と指摘された。
そして、「あなたがたは、私が飲む杯を飲むことができるか?」とイエスが使徒たちに問いかけたマルコ福音書の一節からヒントを得て、信者たちに、イエスが弟子のヤコブとヨハネに尋ねた深い問いについて熟考するよう、促され、「これらの問いかけは、私たちの隠れた欲望に光を当て、利己主義の幻想を捨て去る… そして、イエスは私たちを、より深い関係へと招いておられるのです」と説かれた。
さらに、「ヤコブとヨハネは忠実な弟子でしたが、世俗的な栄光に根ざした期待を抱いてイエスに近づき、名誉と権力の地位を求めました… イエスの栄光の中で、右と左に居場所を求め、力強く君臨する勝利の救世主を想像しました。だが、そうした彼らの理解は間違っていたのです」とされたうえで、「イエスは彼らの要求をそのままにせず、さらに深く掘り下げ、彼らの言葉の背後にある欲望を明らかにします。イエスは、私たちに対するのと同じように、彼らに、人間の野心を超えて見るように求められたのです」と強調された。
また教皇は、「真の救世主は、権力と支配の王ではなく、奉仕されるためにではなく、十字架上で命を捧げるほどに奉仕するために来た、僕の王です」とされ、「イエスが弟子たちに示していたイメージは、権力に関する世俗的な概念から根本的に外れていました… イエスの右と左には王座はなく、イエスの横で十字架にかけられ、イエスとともに屈辱のうちに苦しみ、死んでいく2人の盗賊がいる… この死はイエスが語った杯、つまり愛の人生、苦しみと奉仕の洗礼です」と語られた。
そして、「弟子としての真の道は、支配を求める道ではなく、奉仕することを学ぶ道」であることを強調され、「キリストに従う者は、偉大になりたいなら、奉仕しなければなりません」と信者たちを諭された。
説教の最後に、教皇は、この日、列聖された14人の聖人の模範を讃え、「彼らは、自分の栄光のためでなく、神の栄光のために生き、兄弟姉妹に仕える者となった男女なのです」とされ、信者たちに、「私たちもキリストに従い、奉仕においてキリストに従い、世界への希望の証人となることができますように」と聖母マリアに執り成しを求めて祈るよう、勧められた。