☩「希望と一致を育むために”コミュニケーションの武装解除”を」教皇が6月1日の「世界広報の日」に向けてメッセージ

 教皇フランシスコが24日、6月1日のカトリック教会「世界広報の日」に向けてメッセージを発表された。

 カトリック教会では、毎年、「聖霊降臨」の前週の日曜日(今年は6月1日、日本の教会では復活節第6主日に記念するため今年は5月25日)を「世界広報の日」と定め、多様な形態のメディアを通して行われる福音宣教について教会全体で考え、祈りを捧げることにしている。2025年度のテーマは「Share with gentleness the hope that is in your hearts(仮訳=あなたがたが心に抱いている希望を穏やかに分かち合いなさい)」(ペトロの手紙1・3章15-16節参照)。

 メッセージの中で教皇は、偽りの情報や分極化が目立ち、かつてないほどに、ごく一部の権力が大量のデータと情報を統制する今日、ジャーナリストや広報担当者たちの仕事の重要性と責任の重さを指摘。「困難な時代にあって、恵みの時であるこの聖年にあたり、福音の精神に従い、各自の仕事と使命を新たにし、希望を伝える者となるように」と報道・広報関係者たちに求められた。

*現実を単純化、歪曲し、言葉を刃物のように使うコミュニケーションの問題

 

 さらに、教皇は、「希望を生まず、恐怖や、絶望、偏見、恨み、狂信、憎悪を生じさせ、直感的な反応を引き起こすためにしばしば現実を単純化し、言葉を刃物のように扱い、偽りの、あるいは歪曲された情報まで用いる」など、今日のコミュニケーションの問題を列挙され、このようなコミュニケーションの”武装”を解除し、攻撃性が清められる必要を説かれた。

 また、別の懸念すべき現象として、デジタル・システムを通した「プログラムされた関心の分散」を挙げ、「デジタル・システムが市場の論理に従って私たちを分析・推定することで、現実に対する私たちの認識を変質させてしまうリスク」も指摘された。

*人々の歩みに寄り添う『ナザレのイエスのスタイル』に倣え

 

 教皇は、新約聖書のペトロの手紙1の「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、優しく、敬意をもって、正しい良心で、弁明しなさい」(3章15‐16節=聖書協会・共同訳)と言う言葉から、「キリスト者の希望には、顔がある。それは復活された主の御顔だ」、「その希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるようにしなければならない」、「その際には、優しく、敬意をもって弁明する」という3つのメッセージを引き出された。

 そして、「キリスト者のコミュニケーションはもとより、一般のコミュニケーションも、柔和さ、親しさによって織りなされ、すべての時代における最も偉大な伝達者、人々の歩みに寄り添う『ナザレのイエスのスタイル』に倣うべきです」と強調。「心に語りかけるコミュニケーション、幻想や恐れを売るのではなく、希望する動機をもたらすことのできるコミュニケーション」であるよう希望された。

 

 

*注意深く思慮に満ちたコミュニケーション、隠れた善を語る必要

 

 また教皇は、「希望が持つ共同体的な性格」に言及しながら、特にこの恵みの年がもたらす「再出発と、神の抱擁と慈しみへの委託のメッセージ」を指摘。聖年の多くの社会的意義に触れつつ、こうした意義を反映する例として、受刑者への憐れみと希望のメッセージ、苦しむ人や疎外された人への寄り添いと優しさを込めた呼びかけなどを挙げられ、「私たちを希望へと開く、注意深く優しい、思慮に満ちたコミュニケーションの大切さと、隠れた善を見出し、それを語る必要性」を示された。

*心に語りかけ、希望を蒔き、傷をいやすコミュニケーションの実践を

 最後に教皇は、テクノロジーのめまぐるしい発展を前に、「私たちのたちの心、自分の内面生活をたいせつにするように」と信者たちに促され、「柔和で、相手の顔を忘れず、人々の心に語りかけ、本能的な反応をコミュニケーションの指針にせず実を結ぶことがと思われる時でも常に希望を蒔く、人類の傷をいやすコミュニケーションの実践」を求められた。

 

(編集「カトリック・あい」)

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2025年1月25日