(2024.12.25 Vatican News Thaddeus Jones)
教皇フランシスコは主の降誕の大祝日25日の正午、聖ペトロ大聖堂のロジア(2階中央のバルコニー窓)から、広場の群衆と世界中のメディアを通じて生中継を見ている人々に向けて、恒例のクリスマスの挨拶とメッセージを述べられ、復活の大祝日にも行う”Urbi et Orbi”(ローマ市と全世界へ)の祝福をなさった。
*神の心は常に私たちに開かれている
教皇はクリスマス・メッセージの冒頭で、「今日、私たちが祝う喜びは、2000年前に起こった出来事、すなわち、救済の永遠の言葉である『主イエスの誕生』に由来するもの… この出来事は、今日もなお、すべての男女に語りかけ続けています―『私はあなたを愛している。あなたを赦します。私のところに戻って来なさい。私の心の扉は開かれている!』と」と語られた。
そして、「神の心の扉は常に開かれています… 私たちを愛し、赦してくださる、その心へと立ち返り、神との和解を可能にするように」と信者たちに呼びかけられた。
*すべての人に開かれた救いの聖なる扉
続けて教皇は、24日夜、2025年の聖年を宣言するために聖ペトロ大聖堂の聖なる扉が開かれことを思い起こされ、この扉は「すべての人に開かれた救いの扉であるイエスを表しています」とされたうえで、「兄弟姉妹の皆さん、恐れてはなりません! 扉は開いています。大きく開いています!神と和解し、そして自分自身とも和解し、さらには敵対する者とも和解できるようになるのです。神の慈悲は、すべてを可能にし、あらゆる結び目を解き、あらゆる隔ての壁を取り壊し、憎しみと復讐の念を追い払います。イエスこそ『平和の扉』なのです」と強調された。
*”敷居”を越える勇気
その一方で教皇は、「その扉の”敷居”を越えるには勇気が必要です。なぜなら、私たちはそうするために、古いやり方や考え方を犠牲にし、争いや分裂を過去のものとし、神の愛に身を委ねなければならないからです」とも説明され、「このクリスマス、聖年のはじまりにあたり、私は、すべての人々、すべての民族、すべての国家が、その扉を通り抜けるために必要な勇気を奮い起し、希望の巡礼者となり、武器の音を沈黙させ、分裂を克服することを呼びかけます!」と訴えられた。
*武器が沈黙しますように
世界が直面する課題に目を向けられた教皇は、「戦争で荒廃したウクライナで武器の音が沈黙すること」を祈られ、関係国と世界の指導者たちに「正義と永続する平和のために、強さと交渉や対話へ心を開くように」と促された。
また、中東での戦争終結を祈り、ベツレヘムの馬小屋とイスラエル、パレスチナのキリスト教共同体を思い起こされ、特に、人道面で深刻な状況にあるガザ地区について、「停戦が実現し、人質が解放され、飢えと戦争で疲れ果てた人々に援助が提供されますように」と祈られた。
変革の渦中にあるレバノンとシリアのキリスト教社会にも親近感も表明。「紛争で荒廃したこの地域全体に、対話と平和の扉が大きく開かれますように」と祈られた。また、リビア国民が国家の和解に向けて取り組むよう激励された。
*苦しむ人々への人道支援
さらに教皇は、私たちが祝う救い主の誕生が、コンゴ民主共和国、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、モザンビークで麻疹の流行に苦しむ何千人もの子供たちに希望を与えることを祈られ、「この人道危機が主に人間の要因、すなわち武力紛争やテロの惨害に起因し、気候変動によって悪化し、数百万人の避難を余儀なくさせ、多くの人々を死の危険にさらしている」と批判。「アフリカの角」の住民を思い起し、「彼らに、平和、調和、友愛の贈り物がもたらされるように」と祈られ、スーダンの一般市民についても、「彼らに緊急に必要とされる人道支援が届き、新たな停戦交渉が行われるように」と祈られた。
*対話と社会の調和を祈る
また、長期にわたる紛争で多くの人々が苦しみ、避難を余儀なくされているミャンマーについても、「クリスマスがミャンマーの人々に安らぎをもたらしますように」と祈られ、混乱が続くラテンアメリカの現状についても、「法と真実をもって分裂を克服し、人々が望む社会の調和と公益を促進するために、政治当局と善意ある人々が協力するように」と促され、ハイチ、ベネズエラ、コロンビア、ニカラグアについて言及された。
教皇は、半世紀にわたって分断されたままのキプロス島の住民についても、分離の壁が取り払われ、すべての共同体社会の権利と尊厳を十分に尊重した上で、相互に合意できる解決策が見出されるよう祈りを捧げられた。
*イエスは私たちを待っておられる
「神の永遠の言葉であるイエスは、私たちが存在の意味とすべての生命の神聖さを再発見し、人類の基礎となる価値観を取り戻すために招き入れられる、開かれた扉です」とされた教皇は、イエスが「特に最も弱い立場にある人々」、すなわち戦争や飢餓に苦しむ子供たちや、孤独の中で見捨てられて生きることを余儀なくされることが多い高齢者たちのために、「玄関口で待ち受けておられること」を強調。また、家を失い、安全のために母国を離れ、職を失い再就職もできない人々、刑務所に収監されている人々、信仰のために迫害を受けている人々を、主が待ち受けておられる、とも説かれた。
*人々のために働く方々に感謝する
教皇は、奉仕や善行、他者への支援に身を捧げる人々を称賛し、また「次世代を形作るという大きな責任を担う両親、教育者、教師たち」を思い起こされ、医療従事者、軍人、慈善団体、そして特に「困難に直面する多くの人々に光と慰めをもたらしている世界中の宣教師たち」に感謝の意を表された。
*私たちの負債を赦してください
最後に、教皇は、この聖年が特に最貧国の負債を赦す機会となるよう祈った。「神の子が夜の寒さと闇の中で生まれたように、神の子は私たちを赦してくださっている」と教皇は述べ、主が「私たちを癒やし、赦してくださっている」と述べられた。
そして、「希望の巡礼者として、神のもとへ出かけましょう!神が私たちに心を開いてくださったように、私たちも神に心を開きましょう!皆さまに穏やかで祝福されたクリスマスがありますように」とメッセージを締めくくられた。
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バチカン放送によるメッセージ原稿全訳は以下の通り。
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親愛なる姉妹の皆さん、親愛なる兄弟の皆さん 主の降誕のお喜びを申し上げます。
この夜、私たちに驚きと感動を与え続ける神秘が新たにされました。おとめマリアはイエスを生みました。神の御子は布にくるまれ、飼い葉桶の中に寝かされています。ベツレヘムの羊飼いたちが見たものはこうした光景でした。羊飼いたちは喜びに満たされました。天使たちは「栄光、神にあれ、平和、人にあれ」(参照 ルカ2,6-14)と歌っていました。
2000年前に起きたこの出来事は、聖霊の働きによって新たにされます。愛といのちの聖霊ご自身によってマリアは受胎し、その人間の体をもってイエスを生みました。そして、今日、この時代の苦悩の中で、永遠の救いの御言葉は再び真に受肉し、すべての人に、全世界に「あなたを愛している。あなたを赦そう。私に立ち帰りなさい。私の心の扉は開いている」と呼びかけています。
兄弟姉妹の皆さん、神の心の扉はいつも開いています。神に立ち返ろうではありませんか。私たちを愛し、赦されるその御心に帰りましょう。神に赦していただきましょう。神と和解させていただきましょう。
昨晩、ここ聖ペトロ大聖堂で私は聖年の聖なる扉を開きました。聖なる扉、それはすべての人に開かれた救いの扉、イエスを意味します。イエスは慈しみ深い御父が世界の、歴史の真ん中に開けた扉です。それはわたしたちが神に立ち返るためのものです。私たちは皆、道を見失った羊として、羊飼いと、御父の家に戻るための門を必要としています。イエスは羊飼い、イエスは門です。
兄弟姉妹の皆さん、恐れてはいけません。扉は開いています。大きく開かれているのです。来てください。神と和解させていただきましょう。そうすることで私たちは自分自身と和解し、私たちの間でも、私たちと敵対する人とも、和解することができるのです。そうです。神の慈しみは何でも可能です。あらゆる結び目を解き、隔ての壁を打ち壊し、憎しみと復讐の精神を解きほどいてくれます。来てください。イエス」こそが平和の門です。
私たちはしばしば敷居の上で立ち止まります。それを乗り越える勇気がないのです。自分を問いただすただすからです。扉から入り、平和の君である幼子イエスの腕に自身を委ねるには、一歩を踏み出すための、争いや分裂を捨て去るための、努力が必要です。聖年の始まりであるこの降誕祭に、すべての人、すべての民族、国に呼びかけたいと思います。扉をくぐり、希望の巡礼者となり、武器を捨て、分裂を乗り越える勇気を持ってください。
苦しむウクライナで武器の音が止みますように。あるべき恒久の平和に到達するために、交渉と、対話と出会いの態度に、扉を開く勇気を持つことができますように。
中東で人々が武器を収めますように。ベツレヘムの飼い葉桶の幼子イエスを見つめながら、特に深刻な人道状況にあるガザをはじめ、イスラエルとパレスチナのキリスト教共同体を思います。戦闘をやめ、人質を解放し、飢えと戦争で疲弊した人々を助けることができますように。
わたしはレバノン、特に同国南部の、また現在大変複雑な状態に置かれたシリアの、キリスト教徒たちに寄り添いたいと思います。紛争に引き裂かれたすべての地域で、対話と平和の扉が開きますように。ここで、リビアの人々にも、国内の和解を促す解決を見つけられるように励ましたいと思います。
救い主の誕生が、感染症による危機に見舞われているコンゴ民主共和国の家族や子どもたちに、また同国東部や、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、モザンビークの人々にも希望の時をもたらしますように。
主に武力紛争やテロリズムの傷によって引き起こされた人道危機は、気候変動の破壊的な影響によって深刻化し、人命の喪失と無数の避難民を生んでいます。
同様に、「アフリカの角」地帯の国々にも、平和と調和、兄弟愛の賜物を祈ります。いと高き方の御子が、スーダンの市民に対する人道支援へのアクセスを促し、停戦を目指す新たな協議を開始するための国際社会の努力を支えてくださいますように。
主の降誕の知らせが、ミャンマーの住民に慰めをもたらしますように。ミャンマーでは、長引く武力衝突により、人々は苦しみ、家を離れ逃げざるを得ない状況に置かれています。
ハイチ、ベネズエラ、コロンビア、ニカラグアをはじめ、アメリカ大陸諸国が、社会調和を推進するための解決を、真理と正義のもとに一刻も早く見つけることができるように、幼子イエスが政治家とすべての善意の人々に霊的な促しを与えてくださいますように。また、特にこの聖年において、人々が政治的対立を乗りこえ、共通善を築き、すべての人の尊厳を再発見できるように、働きかけてくださいますように。
聖年がすべての隔ての壁を、特に政治生活、実生活に影響を与えがちなイデオロギー的な壁を打ち壊すための機会となりますように。たとえば、キプロス島では、すでに50年にわたる分裂が人々と社会の基盤を傷つけています。キプロスのすべての共同体の権利と尊厳の尊重のうちに共通の解決を見出し、分裂に終止符を打つことができますように。
人となられた永遠の神の御言葉、イエスは開かれた扉です。私たちは人生の意味とすべての命の神聖さを見出すために、人類家族の土台となる価値を再発見するために、その扉をくぐるようにと招かれています。イエスは戸口で待っておられます。最も弱い立場にある人々はもとより、私たち一人ひとりを待っておられます。
イエスは子どもたちを、戦争と飢えに苦しむすべての子どもたちを待っておられます。しばしば孤独で見捨てられた状態で暮らすお年寄りたちを待っておられます。家を失い、安全な場所を求めて故郷から逃げた人々、仕事を見つけられない人を、すべてに関わらず常に神の子である受刑者たちを、信仰によって迫害される人々を待っておられます。
この祭日、静かに誠実に善のために尽くす人々に、私たちの感謝が欠けることがありませんように。未来の世代を育成する大きな責任を担う両親や教育者たち、医療従事者や、警察関係者、愛の業に取り組む人々、特に困難にある多くの人々に光と慰めをもたらす世界各地の宣教者たちを思います。すべての人々に感謝を表しましょう。ありがとうございます。
兄弟姉妹の皆さん、聖年が借りを免除する機会に、特に最も貧しい国々の債務を免除する機会となりますように。一人ひとりが自分が受けた侮辱を赦すようにと招かれています。なぜなら寒く暗い夜にお生まれになった神の御子が私たちのあらゆる借りを帳消しにしてくださったからです。御子はわたしたちを見つめ、赦すために来られました。希望の巡礼者たちよ、イエスに出会いに行きましょう。ご自身の聖心の扉を私たちに開け放ってくださったイエスのように、私たちも心の扉を開こうではありませんか。
すべての皆様に平安で聖なる降誕祭をお祈り申し上げます。