(2024.10.6 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは6日、年間第27主日の正午の祈りの説教で、キリスト教徒のカップルを、愛、結婚を固く守るよう、そして、命の素晴らしい賜物を望まれ、価値あるものとして歓迎さするよう励まされた。
「配偶者たちにとって、命という贈り物、つまり愛の最も美しい果実、神からの最大の祝福、すべての家庭と社会全体にとって喜びと希望の源である子供たちを受け入れることが不可欠であることを忘れないようにしましょう」-聖ペトロ広場に集まった何千人もの信者に語りかけた教皇は、この日のミサで読まれたマルコ福音書でイエスが語られている夫婦愛の箇所(10章2~12節)を取り上げられた。
教皇は、一部のパリサイ人が主に「物議を醸す問題」、つまり夫と妻の離婚について挑発的な質問をしたことを思い起され、「彼らはイエスを口論に引きずり込もうとしていたが、イエスはそれを許しません… 代わりに、主はこの機会を利用して、神の計画における男女間の愛の価値に関する重要な議論に人々の注意を向けています」と指摘。
そして、「イエスの時代、結婚生活における女性の立場は男性に比べて非常に不利だった。夫は妻を追放したり離婚したりすることができ、些細な理由であっても、聖書の律法主義的な解釈によって正当化された。そうした中で、主は対話の相手を愛の要求へと連れ戻します」と語られた。
また教皇は、「イエスが彼らに、創造主によって女性と男性は尊厳において平等とされており、多様性において補完し合う存在として意図され、お互いが『相手の助け手』、仲間となることを可能にしたことを、彼らに思い起させます」とされ、「このことを実現するために、互いの贈り物が中途半端なものでなく、完全で魅力的なものである必要性をイエスは強調し、結婚は『新しい人生の始まりとなること』(マルコ福音書10章7節、創世記2章24節参照)。それは『私が望む限り』ではなく、永遠に続く運命にあり、お互いを受け入れ、『一体』として結ばれて生きること(マルコ10章8節、創世記2章24節参照)」であると言われています」と説かれた。
さらに、結婚生活においては、困難の中でも忠実であること、敬意、誠実さ、単純さ、そして「対立を受け入れ、時には必要なときには議論を受け入れること、そして常に相手を許し、和解する用意があること」が必要、と強調され、配偶者たちに、「あなたがた口論したり、意見が食い違ったりしても、決して和解せずに一日を終えることのないように」と助言された。
また、米国の教会が今日、10月の第1日曜日を「生命を尊ぶ日曜日」と定めているが、「子供たちは神の『最大の祝福』、夫婦にとって、命という賜物、子供たちを受け入れる心構えが不可欠だです」と教皇は述べ、子供たちを「愛の最も美しい実り」、「神からの最大の祝福」、「すべての家庭と社会全体にとっての喜びと希望の源」と呼ばれた。
そして、キリスト教徒の夫婦に子供を持つことを受け入れる心構えをもつよう促され、愛は「要求が厳しいこと」を認めながらも、美しいものであり、「愛に身を委ねれば委ねるほど、真の幸福を見出すことができます」と強調され、次のように自問することを求められた―「私たちの愛はどうなっているだろうか?それは誠実か?寛大か?私たちの家族はどうなっているだろうか、彼らは命、子供たちという贈り物を受け入れているだろうか?」
説教の最後に教皇は、キリスト教徒の配偶者たちを助けてくださるよう聖母マリアに祈られ、「ポンペイの聖堂に集まった信者たちと精神的に一体となって、聖母マリアにより頼みましょう… 伝統的なロザリオの祈りを聖母マリアに捧げましょう」と呼びかけられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)