
世界で苦しむ子供たちを支援、保護するための方策を議論する「子供の権利に関するサミット」の初会合が3日、バチカンで開かれ、教皇フランシスコは講話の中で、「子どもの命に勝るものはありません」と強調。参加した各国首脳たちを前に、紛争や貧困、移民、そして中絶や育児放棄を含む「使い捨て文化」の犠牲となっている子供たちの保護を求め、彼らの声に耳を傾けることの緊急性を改めて訴えられた。
*戦争が壊滅的な影響を子供たちに与えている
講話で教皇は、世界中の子供たちが直面している現在も進行する苦境に焦点を当て、「世界的な進歩にもかかわらず、多くの子供たちが依然として貧困、戦争、教育不足、不正、搾取に苦しんでいること」を強く指摘された。
特に「戦争で荒廃し貧困に苦しむ地域の子供たちの悲惨な状況」とともに、「裕福な社会においても、子供たちは精神的な苦悩、暴力、社会的な疎外といった脆弱性に直面していること」にも目を向けられ、「学校や医療サービスが、多くの困難を経験している子供たち、不安や抑うつ状態にある子供たち、攻撃的または自傷行為に走る思春期の子供たちに対処しなければならないケースが増えています。効率性を重視する文化は、子供時代そのものを、老年期と同様に、存在の『周辺』と見なし、希望の象徴であるべき若者たちが、絶望や将来への楽観主義の欠如に苦しんでいる。これは悲しく、憂慮すべき事態です」と警鐘を鳴らされた。
そして、最も憂慮すべき問題のひとつは、「戦争が子どもたちに与える壊滅的な影響です」とされ、「私たちは、悲劇的にほぼ毎日のように目にしてきました。権力やイデオロギー、国粋主義的利益の偶像に犠牲となり、爆撃によって命を落とす子供たちです。受け入れがたいことです」と嘆かれた。
*先進国の「病的な個人主義」の犠牲となっている
続けて教皇は、先進国で目立つ「病的な個人主義」を非難され、「子供たちが保護すべき立場にある人々による虐待やネグレクト、さらには幼児殺に直面することが多く起きている」と指摘。また、「絶望から海や砂漠、危険な旅の途中で命を落とす子供たちが後を絶たないこと」を挙げ、移民の若者の命が失われていることは「容認できない」と改めて強く非難された。
さらに、社会から否定された子供の実態は、「経済システムの誤り、戦争の犯罪性、適切な医療や教育の欠如を非難する静かな叫び」とされ、これらの悲劇に対して私たちの感覚が鈍くなり、「人間として最も尊いもの、すなわち慈悲や思いやりを失うこと」を警告された。
*児童奴隷、人身売買、虐待という惨禍
教皇はまた、避難を余儀なくされた子供たちの苦しみを思い起こされ、紛争で避難を余儀なくされた子供たちが4000万人以上、家を失った子供たちが1億人以上いるという数字をあげ、児童奴隷、強制労働、人身売買、虐待、児童婚が依然として根強く残っており、1億6000万人の子供たちがこうした不正の犠牲者となっている、という悲痛な現実を示された。。
さらに、出生登録がされていないために法的アイデンティティを持たず、虐待や搾取を受けやすい「目に見えない」1億5000万人の子どもたちにも注意を向けられ、「この同伴者のいない未成年者の現象はますます頻繁に深刻化している」と指摘。ミャンマーから逃れてきたロヒンギャ族の子どもたちの例を挙げられた。
「戦争を経験した高齢者たちが語っているように、こうした子供たちの抑圧の歴史は、戦時下で常に繰り返されています。今日、暴力や搾取、不正の中に生きる子どもたちの声を聴くことは、戦争に対する私たちの『ノー』の意思を強めることにつながります」と強調された。
*使い捨て文化」が助長する殺人に等しい中絶の慣行
特に力強く語られたのは、生まれてくる命を含め、人間の命が顧みられることなく捨てられる「使い捨て文化」に対する非難で、「人間が全能であるというこの使い捨ての考え方のもとで、中絶という殺人行為によって生まれてくる命が犠牲にされている」と強調。「それは社会全体の希望の源を断ち切るものです」と批判された。
*より良い未来への希望を築くために、子供たちの声を聴こう
そのうえで教皇は、世界の指導者たちに、「言葉だけでなく、沈黙や表情、経験からも子供たちの”声”を聞く」よう促され、「子供たちは、その表情や沈黙によっても私たちに語りかけています。ですから、彼らの”声”を聴きましょう!」と呼びかけられた。「耳を傾けることがいかに大切であるか。幼い子供たちが理解し、記憶し、私たちに語りかけていることを、私たちは認識する必要がある」。
講話の最後に、教皇は参加者全員に、今回の会合が提供する機会を最大限に活用するよう促し、彼らの貢献が、「子供たちにとって、ひいてはすべての人々にとってより良い世界を築く助けとなることを期待しています」と願われた。「私にとって、子供たち、彼らの権利、彼らの夢、そして彼らの未来への要求を私たちの関心の中心に据えるために、私たちがここに一堂に会していることは希望の源です」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)