☩「喜びへの招きを受けるために『私はどうすればよいか』問い直そう」

(2018.12.16 VaticanNews)

 教皇フランシスコは16日待降節第三主日「喜びの日曜日」正午のお告げの祈りに先立つ説教で、サンピエトロ広場の寒さを防ぐために温かい服を着込んだ子供たちに向かって、「あなた方が、お家で(注:お生まれになるキリストが置かれる)『飼い葉おけ』の前で、皆でお祈りをし、赤ちゃんのキリストさまを見て、人を造られた神さまをとてもすごい、と思うでしょう。そして、聖霊があなたの心に、イエスさまのつつしみ深さ、やさしさ、そしてすばらしさをくださるでしょう。これが、本当のクリスマス!あなた方とあなた方の家族の皆さんにとって、そうなりますように」と語られた。

 そして、教皇は、広場に集まった人々に、待降節第三主日のミサ典礼は「私たちを、喜びに招くもの」とし、「エルサレムの住民たちは、主が自分たちへの裁きを退けられた(注:ゼファニヤ書3章15節参照)ことで、喜びに招かれました…それゆえ、人々にとって悲しんだり、落胆したりする理由はなくなり、すべてが、愛する者たちをいつも罪から救い、助けたいと思っておられる神への、喜びに満ちた感謝につながっていくのです」とされた。

 さらに教皇はこの日のミサの第一朗読で読まれた聖書の箇所と取り上げ、「主は、喜びをもってあなたを祝い、愛をもってあなたを新たにし、喜びの歌をもってあなたに歓喜の声を上げる」(ゼファニヤ書3章17節=「聖書協会共同訳」より)と語る預言者ゼファニヤの言葉は、「クリスマスを準備する私たちにとって、特に適っています… なぜなら、それはイエス、エマニュエル-私たちと共におられる神、に対するもの、イエスの存在が喜びの源だからです」と説かれた。

 また、教皇は、「聖パウロは(注:第二朗読の「フィリピの信徒への手紙」で)『何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献(ささ)げ、求めているものを神に打ち明けなさい(4章6節=同)』と私たちに勧めています。困難に遭う時、私たちがいつも、主に向き合うことができることと、そして、主は決して私たちの願いを拒まれないことを知ることは、喜びの大きな理由です」とされ、「心配も、恐れも、『神はいつも、愛をもって人生を導いてくださる』のを知ることからくる心の平穏を、私たちから、取り去ることはできません。問題や苦しみの最中にあってさえも、この確信が希望と勇気を育てていくのです」と述べられた。

 最後に教皇は、待降節は回心の機会の一つであり、喜びへの主の招待を受け入れるために(注:福音朗読、ルカ3章10‐18節にある)「私はどうすればよいのですか」と自分自身に問う必要がある、と強調された。

(翻訳「カトリック・あい」)

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2018年12月17日