☩「司祭生活は透明で信頼できるものでなければならない」教皇、司祭叙階ミサで

(2025.5.31 Vatican News   Devin Watkins)
  教皇レオ14世が5月31日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で捧げられたミサの中でローマ教区の11人の司祭叙階式をなさり、説教で、新司祭たちに「信頼できる証人として、奉仕する信徒たちのそばにいること」ができるように、神の恵みを願うよう求められた。 叙階された司祭11人の最年少は28歳、最年長は49歳で、うち7人は教皇庁立ローマ大神学院、4人はローマ教区立レデンプトリス・マーテル神学院の出身。叙階式には家族や友人、神学院や小教区の関係者など約5500人が集った。

 そして、司祭叙階は、「神がご自分の民を決して見捨てず、希望と一致を回復する ”そよ風 ”のように、私たちと共にいてくださることを示すもの」「神の喜びは、大きな声ではないが、それは本当に歴史を変え、私たちを互いに近づけるものです」と説かれた。

 教皇は続けて、すべての司祭に対し、「あなたがたが仕える人々は ”生身の人間 ”なのですから、あなたがたも、現実の世界に自らをしっかりとつなぎ、イエスに倣って、自分の人生を人々の模範になるように。離れず、孤立せず、受けた賜物を”特権”に変えることなく、人々の自らを捧げてください。教皇フランシスコも『自己中心的な態度は、宣教精神の火を消してしまう』と言っておられます」と説かれた。

 また、教皇は、「教会はその本質において外に向いており、イエス自身の生涯、受難、死、復活を反映しています」と指摘。「神の国は今、あなた方の個人的な自由を統合し、イエスが教会に託された十字架の使命に、あなた方の心と若い力を接ぎ木して、私たちを超えて行く用意ができているのです 」と強調。

 そして、聖パウロの宣教に目を向けられた教皇は、司祭職とは「使命はイエスに属する」ものであり、誰もイエスの代わりに召されることはないのだから、支配者ではなく、執事なのです… 司祭になるとき、信仰者のため、また、復活した方が私たちに近づき、驚かせようとするすべての被造物のために」場所を作るよう、に招かれているのです」と語られた。

 聖パウロがエフェゾの長老たちに語った言葉— 「(あなたがたは、)私があなたがたとどのように過ごしてきたか、よくご存じです」(使徒言行録20章18節)―を引用されたうえで、「私たち(聖職者)の生活は、透明で、目に見え、信頼できるものでなければなりません!私たちが神の民の中で生活するのは、神の民の前に、信頼できる証人として立つためなのです」と強調。

 さらに、「傷ついた被造物の中で、傷ついた人類に遣わされた『傷ついた教会』の信頼を回復することができるのは、キリスト者が共にいるときだけなのです」と語られた教皇は、復活されたキリストの傷を指し示され。「キリストの傷は、人類の拒絶のしるしであると同時に、神の赦しと教会の宣教の使命のしるしでもあります」と説かれ、さらに、「キリストの愛は、私たちを解放し、誰にも所有させないことを可能にする愛です。『解放する』のであって、『所有する』ではありません」と付け加えらた。

 説教の最後に、教皇は、ミサに参列した人々に、「新司祭たちの福音宣教の使命に感謝しつつ支えるように」と呼びかけられ、「私たちは共に、天と地を一つにします。教会の母であるマリアにおいて、この共通の司祭職は輝き、卑しい者を引き上げ、世代をつなぎ、私たちが祝福された者と呼ばれることを可能にするのです」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年6月1日