☩「司祭にとって、聖年は回心の道における新たな出発への特別な召命」-聖木曜日(主の晩餐)のミサ説教で

(2025.4.17  Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

   教皇フランシスコは17日、聖木曜日(主の晩餐)のミサのために準備された説教の中で、2025年の今祝われている聖年は、「私たち司祭にとって、回心の道における新たな出発への特別な召命を意味します」と強調された。

 聖ペトロ大聖堂でのミサには、枢機卿、司教、そして司祭たち合わせて1800人以上が参加。療養中の教皇に代わって、この日のミサの司式を委ねられたドメニコ・カルカーニョ枢機卿は、ミサ中の説教も教皇が準備された説教を代読した。

 その説教で、教皇はまず、「私たち司祭に自分たちの歴史がある 」と指摘。司祭叙階式で約束を新たにした時を振り返られ、「もし私たちが神に教えられさえすれば、私たちの務めは希望のものとなります。なぜなら、神は、私たちの物語のそれぞれに、恵みの時とオアシスである聖年を与えてくださるからです」と述べられた。Cardinal Domenico Calcagno presides over Chrism Mass and reads Pope Francis' homily

 そして、「司祭にとって、聖年は、私たちが再び歩み始めるための重要な瞬間… 希望の巡礼者として、司祭の私たちは、聖職者主義を捨て、希望の使者となるよう求められているのです 」と説かれた。

 さらに「自分の民を愛する羊飼いは、どのような犠牲を払ってもコンセンサスや承認を求めません」とされ、「愛の忠実さが心を変える」ことを司祭たちに思い起こさせ、「親愛なる兄弟たちよ、私たちは『アーメン』を自分のものとし、繰り返すためにここに集まっているのです 」、さらに「私たちが追体験しようとしているイエスの受難、死、復活は、教会を、そしてその中で私たちの司祭職をしっかりと支える土壌です」と強調された。

 また教皇は、「司祭一人ひとりが、神の言葉と長年にわたる関係を持っています」と指摘され、「聖書が私たちの最初の故郷であり続けるときにのみ、私たちは聖書を他者のために役立てることができます… 聖書の中には、私たち一人ひとりが、他のページよりも心に響くページがある。 それは素晴らしく、重要なこと! 例えば、新婚カップルが結婚式のための朗読を選ぶときや、悲しみにくれている人たちが、亡くなった大切な人を、神の憐れみと共同体の祈りに委ねるための箇所を探すときなどです」と語られた。

 さらに「信じられないことに、召命のためのページが、通常、それぞれの旅路の始まりにある。このページを読むたびに、私たちがそれを大切にし、愛が冷めてしまわないようにさえすれば、神は今も、私たちを呼んでおられるのです」と司祭たちを激励。そして「『見なさい、私はすべてのものを新しくしている』という主の慰めの言葉を思い出すように」と促された。Chrism Mass in the Vatican

 続けて教皇は、「聖霊が、司祭の奉仕の静かな主人公であり続けていること」を思い起こさせ、 「私たちの言葉が自分の生活の中で現実のものとなるとき、人々は主の息吹を感じるのです」と述べられた。

 そのうえで、「今日、私たちが奉献する聖香油は、キリスト教生活のさまざまな段階において働く変容の神秘を封印するもの」とされたうえで、教皇は司祭たちにいくつかの宿題を出された。

 そして、「信じなさい!神が、私と共に過ちを犯したのではない、と信じなさい! 神は決して間違いを犯されません」。「私たちの司祭叙階式で語られた言葉を、いつも思い出しましょう。あなたがたのうちに良いわざを始められた神が、それを成就させてくださいますように。これは神の御業であって、私たちの業ではない」と注意され、「主が私たちの目を開き、肩の荷を下ろしてくださること」を司祭たちに想起させた。

 説教の最後に教皇は、すべての信者に対して、「希望の民として、司祭の喜びのために今日、祈るように」と呼びかけられた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年4月17日