
(2023.11.1 Vatican News)
教皇フランシスコは1日放映されたイタリア国営放送の番組で、司会者のインタビューに応じ、ガザ地区での危機的な状況から、ロシアによるウクライナ軍事侵略はじめ世界で起きている紛争、さらに10月29日に閉幕したシノドス総会第一会期でも議論になった「教会における女性の役割」、「司祭の独身制」、「同性愛者のカップル」などにも、質問に答えられた。
*ハマスとイスラエルの戦いを止める賢明な解決策は
まず、イスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃で始まり、イスラエル軍のガザ地区への地上攻撃に発展、日に日に多くの死者が双方に出ている事態に対して、教皇は、「すべての戦争は敗北です… 戦争では何も解決しない。すべては平和と対話によって得られるのです」とされたうえで、「(ハマスの戦闘員はイスラエルの)キブツに侵入し、人質を連れ去り、そこにひた人たちを殺した。これに対してイスラエル軍も拉致された人質を救うために、(ガザを)攻撃する。 戦争では、一方の”平手打ち”が他方の”平手打ち”を引き起こします。 その応酬は一段と激しくなり、続きます。 共に生きなければならない二つの民族の間の賢明な解決策…それは 2 つの民族、2 つの国家です。 オスロ合意*は、極めて限定された2つの国家と特別な地位を持つエルサレムを認める、ということでした」
*オスロ合意=1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で同意された一連の協定。正式には暫定自治政府原則の宣言という。主な内容とされているのは①イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する②イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府による自治を認める。その5年の間に今後の詳細を協議する―というものだった。
*世界中の戦争の裏で儲けているのは「兵器産業」だ
教皇は、先週の「平和への祈り」を思い起しつつ、「世界は今、とても暗い時を経験しています」とされ、「人ははっきりと反省する能力を見つけることができていない。 先の世界大戦が終わった1945 年から現在に至るまで、次から次へと”敗戦”が続いており、戦争は止まりません。そうした中で、最も深刻な問題は『兵器産業』の存在です。 ある会合で出会った投資の専門家は『今、最も儲かっている投資先は兵器産業だ』と言っていました」と指摘された。
また教皇は、ガザにいる宗教者たちと毎日電話で話している、とし、 「エジプト人の小教区助任司祭、ユスフ神父に毎日、電話しています。彼はこう言いました-『この小教区には563人が住んでおり、全員がキリスト教徒かイスラム教徒です。 マザー・テレサの『神の愛の宣教者会』のシスターたちが病気やけがをした子供たちの世話をしています。私は小教区の人たちに寄り添うことを心ががけていますが、ありがたいことに、イスラエル軍は今のところ、私たちを尊重してくれています』と」。
*教皇に就任した時の悪夢がまた繰り返されている・・このような事態に「慣れて」はならない
そして、「私が今も覚えているのは、教皇になりたての時に、今回と同じような戦闘が、シリアで戦争が起きたことでした。聖ペトロ広場で、平和回復のために祈りを捧げ、そこにはキリスト教徒だけでなくイスラム教徒もいました。イスラム教徒は祈るために絨毯を持って来ました。とても難しい瞬間でした。 申し上げたくありませんが、あえて言います。あなた方は、『それ』に慣れています、残念ですが、『それ』に慣れています。でも、慣れてはいけないのです」と強調された。
*中東、ウクライナ、イエメン、ミャンマー… 悲惨な争いが世界に広がるのを、人の英知で止められる、と思いたい
現在、イスラエルとパレスチナで起きている悲惨な争いが、世界に広がる可能性について聞かれた教皇は、「そうなれば、多くのものと多くの命に終わりをもたらすことになる。 人間の英知が、そうした事態になるのを止めると思います。 はい、拡大する可能性がないとは言えませんが… 」と答えられ、さらに、「この戦争は、イスラエル、パレスチナ、聖地、エルサレムが意味することのゆえに、私たちに影響を与えます。 ウクライナで続いている戦いも、近くで行われているので、私たちにも影響を与えています。私たちが直接、影響を受けない戦争も、世界中にたくさん起きている。 イエメン、ミャンマーなどなど。 世界は戦争状態にありますが、その裏に兵器産業があることを、改めて申し上げたい」と指摘された。
*「反ユダヤ主義」はまだ過ぎ去っていない
関連して「反ユダヤ主義」について聞かれた教皇は、「残念なことに、今も、何か反ユダヤ主義的なものが常に存在します… 第二次世界大戦中に起きたユダヤ人大量虐殺。600万人が殺害され、奴隷化されたことを知るだけでは必ずしも十分ではないし、それ(その背景にあった反ユダヤ主義)はまだ過ぎ去っていません」と語った。
*ウクライナ紛争
ウクライナ和平への取り組みについては、「私はウクライナ国民のことをいつも思っています… 彼らは『殉教の民』であり、スターリンの時代にも非常に厳しい迫害を受けました。このことについて書かれた本を読みましたが、それはひどいものでした、… 彼らはかつて多くの苦しみを負わされ、今、それを追体験させされている。 私は彼らのことを理解していますし、ゼレンスキー大統領を受け入れました。彼の立場は理解していますが、今は平和が必要です。 しばらく立ち止まって、和平合意を模索してもらいたい。和平合意こそがこの問題に対する、ウクライナ、ロシア双方にとっての、本当の解決策です」と強調した。
そして、 教皇はロシアが軍事侵攻を開始した昨年2月のことを思い起こされ、「信仰が開始された2日目、私はロシア大使館に出かけました。そして、『何かの役に立つならプーチン大統領のもとに喜んで行きます』と約束した… その時から、私はロシア大使館との間で話し合いができるようになり、ロシア、ウクライナ間の捕虜の交換が実現しました。しかし、対話はそこで止まってしまった。ロシアのラブロフ外相はこう言ってきたのです-『モスクワにおいでになるなら感謝するが、その必要はありません』と教皇自らの”対話路線”が不調に終わったことを説明された。
*教会における女性の役割は極めて重要性だが、女性司祭には神学的問題がある
先のシノドス総会第一会期では、女性の教会における役割も大きなテーマになったが、教皇は「バチカンでは、すでに多くの女性が働いています。 たとえば、バチカン市国のナンバーツーはシスターで、実質的な最高責任者です。 経済評議会は6人の枢機卿と6人の一般信徒で構成されていますが、一般信徒6人のうち5 人が女性です。 そして、奉献・使徒的生活会省と総合人間開発省の次官も女性。司教を選ぶ委員会にも3人の女性がいます。女性たちは、私たち男性が理解できないことを理解しています。状況に対する特別な能力を持っており、それが必要とされています。 私は、女性たちが教会の通常の活動に組み込まれるべきだ、と確信しています」と強調。
さらに、女性の司祭叙階については、「そこには行政的ではなく、神学的な問題があります。 女性は教会で何でもできます。統治責任者のポストに置くことも可能ですが、 神学的、司牧的観点から見ると、女性の司祭叙階は別の問題です。『 Petrine principle(使徒ペトロの原則)』は管轄権の原則です。 『Marian principle(マリアの原則)』はもっと重要です。教会は女性であり、教会は花嫁であり、教会は男性ではないからです。このことを理解するには、神学が必要です。そして、『女性の教会と教会における女性』の力は、男性の司祭職よりも、もっと強く、もっと重要です。 教会は女性であり、それゆえ、マリアはペテロよりも重要です。 しかし、これを機能主義に還元しようとしたら、私たちは負けてしまいます」と説かれた。
*シノドスと司祭の独身制
シノダリティ(共働性)をテーマとしたシノドス総会第一会期にについて、教皇は、「結果は『肯定的』です。私たちは、完全に自由に、すべてについて話し合いました。これは素晴らしいことです」と評価したうえで、 「そして、総括文書を作成することができました。この文書は、来年10月の総会第二会期に向けて検討する必要があります。家族をテーマにした以前のシノドス総会と同様、今回も2段階のシノドス総会になります」と語られた。
そして、「 私たちは、聖パウロ六世が第二バチカン公会議の終わりに希望されたシノダリティの実践にまさに到達したと信じています。聖パウロ六世は、東方教会が保持していたシノダリティの側面を西方教会が失ったことに気づいていました」とされた。。
*同性愛者のカップルについては
今シノドス総会の前から高位聖職者の間で議論のあった同性愛者のカップルの問題について、教皇は「私が『みんな、みんな、みんな』と言うとき、それは人々のことです。 教会はあらゆる人を受け入れますが、彼らに、どのような人であるか尋ねません。 そして、誰もが、教会でキリスト教徒としての帰属意識を持って成長し、成熟します。確かに今、このこと(同性愛者のカップルの問題)について話すのはちょっとした流行になっています。 教会はあらゆる人を受け入れます。 『組織』が参加したい、という場合は別です。 原則は次のとおりです-『教会は洗礼を受けることのできるすべての人を受け入れる。 『組織』は洗礼を受けることができない。 人々は、イエスだ』」
*聖職者による虐待は、性的であれ、どんな形も容認されない―小児性愛も含めてやるべきことはまだたくさんある
聖職者による虐待問題については、教皇はベネディクト16世の仕事を引き継いでおり、 「たくさんの”大掃除”が行われました。 虐待でバチカンから追放された人もいました。前教皇はこれに関して勇気を持っていました。 その問題を自らの手で受け止め、多くの手順を踏んでから、それを完成させました。 この仕事は、これからも続きます。 虐待は、精神的虐待であれ、性的虐待であれ、その他のいかなるものであれ、容認されるべきではありません。 それは福音に反しています。 福音は、虐待ではなく奉仕であり、性的虐待だけでなく、他の種類の虐待についても、その研究で良い仕事をした多くの司教を見てきました」と述べた。
また、教会は小児性愛と戦うために多くのことを行ってきたが、「やるべきことはまだたくさんある」ことを認めた。
*教皇として、一番難しかったのは…
「これまでの教皇在任中に、一番難しいと感じたのは、何でしたか」との質問に、教皇は、「 私はこのようなこと(教皇職)に慣れていませんでしたし、間違いを犯して、相手に危害を及ぼすのではないか、という恐怖もありました。 大変でした。 簡単なことも、それほど簡単ではないことも、いくつかありました。 しかし、主は、常に私が問題を解決するよう、あるいは少なくとも忍耐を持って解決を待つよう助けてくださいました」とされ、「何が怖いのかと言えば、 聖地での戦争は怖いです。 この人たち、この物語はどうやって終わるのでしょう? 主の前で解決されるでしょうが、 恐怖が消えるわけではありません。 でも、当事者たちは、人間的な姿を保っています。 恐れを持つのは良いことです」と語られた。
*COP28のためにドバイに行きます
教皇は、シノドス総会第一会期の初めの日に、環境問題に関するCOP28(国連気候変動枠組み条約締約国会議第28回会合)に向けた提言ともいえる使徒的勧告「Laudate Deum(神をほめたたえよ)」を出された。11月下旬にドバイで始まるCOP28に参加するかどうか、を聞かれて、 「はい、ドバイに行きます。 12月1日から12月3日まで休暇をとろうと思います。 私はドバイに3日間滞在します」と答えられた。
そして、「数年以上前のこと、私がストラスブールの欧州議会に行った時、オランド仏大統領がロワイヤル環境相を迎えに寄越してくれました。彼女から、『環境について(パリ会議=2015年の国連気候変動枠組み条約締約国会議第21回会合=COP21)の前に何か準備しておられますか?』」と尋ねられました。それがきっかけになって、2015年のCOP21の前に(環境回勅)Laudato siを出したのです。その後、世界の環境問題への取り組みは後退しましたが、前に進む勇気が必要です」と強調された。
*信仰が揺らいだことは…。
また「 信仰が揺らいだことはあるか」との問いには、教皇は「『信仰を失う』という意味でしたら、そのような経験はありません」とされたうえで、「『揺らぎを感じずに暗い道を歩いている』という意味なら—主はどこにおられるのでしょうか? – あなたは、主が隠れておられるように感じますか、主はどこにお一人でおられるのですか? 私たちは彼の所に行ったり、来たりします。そして『主よ、どこにおられるのですか?なぜ、そこにとどまっておられないのですか?』と問いかけます。それで、あなたは、主が自分に語りかけてくださっているのを感じます。なぜなら、私は魔法の杖を持っていないからです。主は魔術師ではありません。それとは別の方です」と語られた。
最後に教皇は、「アルゼンチンの2人の偉大なサッカー選手、マラドーナとメッシのうちどちらが好きですか」との問いに、「3番目はペレだと思います」と答えられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)