☩「二人を見習い『いかにして一致を促進し、愛をもって真理に奉仕するか』を学べ」-聖ペトロと聖パウロの祝日ミサで新任の教会管区大司教たちに

(2026.6.29  VaticanNews   Deborah Castellano Lubov)

  聖ペトロと聖パウロの祝日の29日、教皇レオ14世は聖ペトロ大聖堂でのミサを捧げられ、信者たちに「欠点があったにもかかわらず、福音の並外れた証人となったローマの二人の守護聖人に倣うように」と呼びかけられた。そして、教会の最高指導者としての権威と使命を象徴する帯「パリウム」を授与される新任の教会管区大司教たちに対して、「主に倣い、自分に託された信徒たちの『善き羊飼い』となるよう求められた。

 説教で教皇は、「今日、私たちにとって重要なのは、この二人の聖人、ペトロとパウロに目を向け、私たち自身が『どのようにして使徒となり、一致の築き手となり、愛に満ちた真理の寛大な奉仕者となることができるか』を理解することです」と語られた。

 

 

*ペトロは、自分の過ちを認め、悔い改めることを知っていた、落胆せず、使命を全うした

 

 そして、「ペトロはイエスによってその群れの羊飼いとして選ばれ、パウロは異邦人の使徒として選ばれたことに注意を向け、「彼らにおいて、私たちは教会の二大支柱を崇敬するのです」とされた。まずペトロについて「初代教皇として、分裂や混乱の時代にあっても、一致と交わりを育んだこと」を振り返った。

 だが、「それは、ペトロが完璧であることを意味するわけではありません」とされ、「受難の際、ペトロが主を否認し、その後になって初めて悔い改めの涙を流したこと」、また、「パウロも、別の状況下で、ペトロの行動の一貫性のなさを批判したこと」を指摘。

 それでも、 「ペトロは、自分の過ちを認め、悔い改めることを知っていた」とし、「落胆することなく、福音を宣べ伝え、キリストの群れを集めるという使命を全うし、ここローマで、私たちが今集まっている場所からそう遠くない場所で、殉教されたのです」の述べられた。

 さらに教皇は、「ペトロは、最終的に主から託された使命を受け入れた。主の助けを借りて、一人ひとりの声に耳を傾け、霊感を見極め、道を導き、誤りを正し、兄弟姉妹を教え、励まし、戒め、寄り添う… そうして、同じ聖霊の働きに従順な者たちが、互いの救い、そして全人類の救いに協力できるようになるためでした」と語られた。

 教皇は、ペトロの模範は「すべてのキリスト教徒に対し、神を人生の中心に据え、兄弟姉妹に寄り添い、彼らの状況や必要に耳を傾けることで、一致の築き手となるよう招く行為。そうすることで、私たちは愛をもって互いに生きることを学び、福音が完全に宣べ伝えられるようになるのです」と強調された。

 

*神は、パウロを教会の迫害者から平和の使者にされ、愛の道へと導かれた

 続けて教皇は、「これこそが、今日、私たちが祝う、もう一人の偉大な使徒であり、福音をたゆまず宣べ伝えたパウロの教えでもある」とされ、「神は、若きサウロの心の中で素晴らしい御業を成し遂げられ、彼を勝ち取り、まず福音への回心へと導き、新しい名を与え、そして世界中に福音を宣べ伝えるために遣わされました。ペトロと同様、パウロもまた、まさにローマの街で命を捧げるまで、福音を証ししたのです」と語られた。

 そして、「『異邦人の使徒』は、神の言葉の力によって自らを変容させ、暴力の道から救い出され、愛の道へと導かれました」とされ、聖アウグスティヌスがパウロの回心と宣教について、「神は、教会の迫害者を平和の使者にされた… すべての罪を赦し、他者の罪を赦すことのできる務めに就かせた」と指摘したことを想起された。

 

*主の群れの羊を託された新任の教会管区大司教たちに

 「二人の聖人たちを見習うことで、『いかにして一致を促進し、愛をもって真理に奉仕するか』を学べるでしょう」と述べられた教皇は、この精神に基づき、新任の教会管区大司教たちへのパリウム授与という古くから伝わる感動的な儀式がまもなく執り行われることに注意を向けられた。

 そして、「十字架で飾られたこの白い羊毛の帯(パリウム)は、まさに、『羊飼いが、主の群れの子羊、自分に託された兄弟姉妹を肩に担い、自らのエネルギー、時間、労力、さらには命さえも捧げる』という決意を表しているのです」と強調。この無私の精神の核心には、「福音がすべての人に届き、全世界がその中に調和と一致を見い出す」という願いが込められている」と指摘された。

 また教皇は、こうした思いをもって、出席した正教会コンスタンティノープル総主教庁の代表団のメンバーに、喜びをもって心からの挨拶をおくられた。

 説教の最後に教皇は、「救い主の足跡をたどる交わりの旅路において、聖ペトロと聖パウロが私たちを支えてくださるよう、祈りましょう」と参加者全員に呼びかけ、この旅路こそが「主が私たちのために定めてくださった道であり、主ご自身が最後の晩餐で父に祈られたまさにそのことであり、主が私たちに確信に満ちた希望を持って目指すよう教えられた目標なのです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2026年6月30日