(2024.7.28 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは28日の年間第17主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれた「パンと魚の奇跡」を語る福音を振り返られ、主が日々、私たちに与えてくださる恵みの奇跡を味わい、感謝するよう、全ての信者に呼びかけられた。
説教で教皇は、この「パンと魚の奇跡」の場面で、イエスが最後の晩餐でなさった3つの行為、すなわち「捧げる」「感謝する」「分かち合う」がされていることを指摘され、「これらがすべて聖体の儀式で行われる行為であること」を思い起こされた。
まず「捧げ物」について、教皇は、「このポイントは、私たちが自分の持っている何か良いものを差し出すよう求められていることを認識し、それが、必要とされているものよりも少なすぎるとしても、『はい』と答えることです」と指摘。「ミサで司祭が祭壇でパンとワインを捧げ、それぞれが自分自身、自分の命を捧げるときに、このことが強調されるのです」と語られた。
そして、「何千人もの群衆の前で5つのパンと2匹の魚を捧げるのと同じように、人類が必要としていることの膨大さを考えると、私たちのできることは小さな行為に思えるかもしれません。しかし、神はそれを大きな奇跡の材料になさる。つまり、主が世界を救うために私たちの間に、自らを現される、ということです」と説かれた。
次に「感謝」について、教皇は、「神が私たちを祝福してくださったことを喜ばなければなりませ」とされ、「私たちは謙虚に、そして喜びをもって、主に言うべきです―『私が持っているのは、あなたの賜物だけです。あなたに感謝するために、あなたがくださったものに、あなたの息子イエスと共に、私ができる限りのものを付け加えながら、あなたにお返しすることしかできません。それが、私のかすかな愛です』と」と語られた。
さらに、これが「祝福」の瞬間であり、私たちが神の素晴らしさを讃える瞬間であると認識し、「神が私たちの脆弱な努力の『2枚の銅貨』を聖別し、倍増させてくださるのです」と述べられた。
最後に、「分かち合う」ことについて、教皇は、ミサで私たちが共に祭壇に近づき、キリストの体と血をいただくとき、「賜物の果実が、主によって、すべての人の食物に変えられる」ことを思い起こされ、これは「素晴らしい瞬間」であり、「愛のあらゆる行為を恵みの賜物として生きること、与える者にとっても受け取る者にとっても、兄弟姉妹として共に成長し、慈愛においてさらに結ばれる機会として生きること」を私たちに教えてくれる、と語られた。
教皇は、以上のことを念頭に置かれながら、信者たちに、いくつかの質問を自分に投げかけるように求められた。
「自分は神の恵みによって、兄弟姉妹に与える特別な何かを持っている、と本当に信じているだろうか?それとも、自分は匿名の、『大勢の中の一人』だと感じているだろうか?」「神が絶えず愛を現す賜物に対して、自分は神に感謝しているだろうか?」。そして、「自分は、他者と分かち合うことを、出会いと相互の豊かさの瞬間として生きているだろうか?」と。
教皇は最後に、聖母マリアに対して、私たちが信仰をもっていつも聖体祭儀に参加し、神の恵みの「奇跡」を認識し、日々、「味わう」ことができるように、助けを願われて、説教を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)