☩「主の御言葉に耳を傾けることで、心と人生に光がもたらされる」ー王であるキリストの祝日・正午の祈り説教

(2024.11.24 Vatican News  Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは24日、王であるキリストの祝日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書18章33∼37節を取り上げ、キリスト教徒たちに「自らをすべての人々の僕とされ、私たちの人生に希望と光をもたらしてくださる、宇宙の王の声に耳を傾けるように」と信者たちを促された。

 福音書のこの箇所では、死刑判決を受けるためにピラトに引き渡されたイエスの対話が語られている。教皇は「二人の短いやり取りで、特に注目されるのは、『王』と『この世』という2つの言葉が変化し、新たな意味を持つようになったこと」と指摘。

 教皇は、「皇帝に仕えるピラトは、目の前にいる男が、自分にとって脅威となるかどうか知りたいと思っています。それは、彼にとって、『王』が、すべての臣民を支配する権威を意味するからです」とされ、「ピラトの問いかけに対して、イエスは、ご自分が『王』だ、と断言されますが、それはまったく異なる意味で『王』と言われたのです」と語られた。

 そして、「イエスは証人であるがゆえに『王』。真実を語るお方です。神の御言葉が肉体となったイエスの『王』としての力は、真実で効果のある言葉にあり、その言葉は世界を変えるのです」。さらに「イエスはピラトの治める『この世』の王ではない。『この世』は『強者が弱者を、富者が貧者を、暴力的な者が柔和な者を打ち負かす』世界。残念ながら私たちがよく知っている世界です… イエスは『王」ですが、その王国は『この世』のものではありません」と言明。

 「イエスの世界は、神が私たちの救いのためにご自分の命を捧げることによって、すべての人々のために用意された新しい永遠の王国… キリストが恵みと真理を注ぎ込むことによって地上にもたらす天の王国です。イエスは私たちを解放し、赦し、そして平和と正義を与えてくださるのです」と説かれた。

 続けて、イエスがピラトに非常に近い距離から語りかけたにもかかわらず、ピラトが『別の世界に生きる者』として距離を保ったことを指摘され、「ピラトは、真実が目の前にあるにもかかわらず、真実に対して自らを開こうとしなかった。彼はイエスを十字架につけ、十字架に『ユダヤ人の王』と刻むように命じましたが、その言葉の意味を理解していなかった」と語られた。

 最後に教皇は、キリストがこの世界、すなわち「私たちの世界」に来られたことを、信者たちに思い起こさせ、「真実を知る者は、私たちを救う宇宙の王の声を聴く。主の声を聴くことは、私たちの心と生活に光をもたらします」とされ、「神の御言葉が自分たちの指針となっているだろうか?」「キリストの中に、私たちを常に赦す慈悲深い神の顔を見ているだろうか?」と自問するよう促された。

 そして、「神の僕であるマリアと共に祈り、神の国を希望をもって待ち望もうではありませんか」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年11月25日