
会見での質問に対する、教皇の主な答えは次の通り。
*アフリカは搾取されるために存在するのではない!
問:あなたはコンゴ民主共和国訪問を切望されていました。あなたはその喜びを経験されました。2016年にバチカンはコンゴとの間で、教育と健康に関する合意をしていますが、これをどの程度重要とお考えですか?
教皇:その合意については詳しくありません。協定の専門家のギャラガー国務省外務局長にお任せしています。コンゴ民主共和国の訪問では、前進することへの大きな願望と、たくさんの文化を知りました。私は数ヶ月前にとても優秀なアフリカの大学生のグループと Zoom ミーティングを行いました。あなたがたの中には、優れた知性を持つ人たちがいます。あなたがたが持つ富の 1 つです。知的な若者たちに扉を閉ざさず、彼らのために空間を作らねばなりません。 コンゴには、その富を搾取しようとする人々を引き付ける非常に多くの自然の豊かさがあります。「アフリカは、搾取されるために存在する」という考えを捨て去らねばなりません。 そして、搾取に関して、コンゴの東部地域が抱える問題は、私に苦痛をもたらします。 私は今回の訪問で、東部地域で犠牲になった人、ケガを負った人、さらには四肢を切断された人に会うことができました。そこには、 大きな痛みがあり富が奪われました。 あってはならないことです。コンゴには多くの可能性があるのです。
*武器取引は最大の”疫病”、少年たちも戦争に巻き込んでいる
問: コンゴ民主共和国と南スーダンの両方で、2 つの国連ミッションが何十年にもわたって活動しているにもかかわらず、暴力が広がっています。 このことに失望したアフリカ諸国の多くが、国際法を尊重しない可能性のある国や組織ー例えばロシア、民間会社、サヘル地域などーを安全保障のパートナーにする誘惑に遭っている。そうした現状で、新たな対応策をどのように考え、支援することができるでしょうか。
教皇:暴力は日常的なテーマになっている。私も、 南スーダンで見たばかりです。 暴力がどのように引き起こされるかを知るのは辛い。 問題の1つは武器取引です。 ウェルビー大司教もこれについて言っておられましたが、武器取引は、世界最大の疫病の一つだと思います。 商売… 武器の販売。 ある人は私に「武器取引を1年止めれば、世界の飢餓はなくなるだろう」と言いました。 それが本当かどうかは分かりませんが、今日の最大の問題は武器取引です。 大国の間だけではありません。 貧しい人々の間でさえ… 争い合っています。 残酷です。 彼らは「戦争に行け!」と言われ、武器を与えられる。 その背後には、土地、鉱物、富を搾取する(人々の)経済的利益があります。
アフリカの部族主義が戦いを止めるのに役に立たないのは事実です。 南スーダンでも事情は同じではないでしょうか。だが、異なる部族間の対話が必要です。 ケニアを訪問した時、満員のスタジアムで 誰もが立ち上がり、「部族主義に反対」と声を上げたのを覚えています。 それぞれに独自の歴史があり、昔からの敵意や異なる文化があります。 しかし、武器売買で部族間の争いを誘い、武器売買に部族間の戦争を利用する動きがあることも事実です。 これは悪魔的ー 他の言葉が思いつきません。破壊ですー被造物を破壊し、人を破壊し、社会を破壊します。
南スーダンでも同じことが起きているかどうかは分かりませんが、一部の国では起きているのは、少年たちを徴兵し、民兵に加わえ、敵対する集団の少年たちを戦わせている。 最大の問題は、一国の富ー例えば、コルタン、リチウムなどの貴重な鉱物資源を奪おうとする熱望。そして、戦争に武器を売りつけること、戦争を通して、子供たちも搾取すること、です。
*ウクライナ、ロシアの両国大統領と会う用意…ミャンマー、ラテンアメリカ、至る所で人々が苦しんでいる
問: ウェルビー大司教が2019年に、南スーダンの指導者の前でひざまずいて平和を求める、という信じられない瞬間を思い出しています。あと 2 週間で、ロシアによるウクライナ軍事侵攻から 1年たちますが、 プーチン大統領に会う機会があれば、同じジェスチャーをなさる用意はありますか? 彼は、これまでの平和への訴えに耳を貸しませんでした。英国国教会、スコットランド国教会、そしてカトリック教会の代表が一堂に会することはめったにありません。この機会に、ウクライナ和平を求める共同アピールを出されてはどうでしょうか。
教皇:ウクライナ、ロシアの両国大統領と会う用意は常にあります。(軍事侵攻が始まった当初)私がキエフに行かなかったのは、当時、モスクワに行くことができなかったからです。 しかし、私は対話をしていました。侵攻が始まって2日目に、私はロシア大使館に出向き、「交渉するための小さな窓があれば、プーチン大統領と話をするためにモスクワに行きたい」と伝えました。 すると、ラブロフ外相は「検討する」と答え、「また後で会おう」と言いました。
しかし、2019年の(ウェルビー大司教の)取られた態度は、どのように起こったのか、私には分かりません。 考え抜かれたものではないようですし、考え抜かれたものではないことを繰り返すことはできません。そうさせるのは聖霊の働きです。 説明は不可能です。計画されたものではなく、内なる衝動によるものでした.
今起きている戦争は、ウクライナだけではありません。世界中で起きています。 故郷を追われ、世界中を放浪する貧しいロヒンギャの人たちのミャンマーを考えてみてください。 ラテンアメリカの至る所に… 戦争の温床がどれほどあることでしょう。 世界すべてが戦争のただ中にあり、自滅しようとしています。 私たちは真剣に考えなければなりません。自己破壊です。 1 つの爆弾がさらに大きな爆弾を次々と引き寄せている。まだ間に合ううちに、止める必要がある。 私たちは頭を冷やす必要があります。
*女性は単なる”化粧品の広告”ではない
女性問題についてですが、 私は南スーダン訪問中に女性たちと会いました。彼女たちは子供を産み、国を作る力を持っています。 女性は素晴らしい。 男性は戦いに行き、2 人、3 人、4 人、5 人の子供を持つ女性たちは前に進みます。今起こっている事態に身を投じている修道女たちについても言及したい。南スーダンで彼女たちの何人かに会いました。 多くの修道女が殺されれいます… 女性の強さについて話をもどしましょう。女性を、単なる化粧品の広告として使わないでください。 女性は、もっと大きなもののために造られています!
*同性愛の犯罪扱いは不当ーそうした「人々」を疎外してはならない
問: 今回の司牧訪問に出発される前に、同性愛が南スーダンでもコンゴでも家族に受け入れられず、犯罪扱いされていることを非難されました。私はキンシャサで 5 人の同性愛者から話を聞きましたが、家族から拒絶され、追放された人さえいました。 彼らは、そうした行為は、両親の宗教的な生い立ちから来ている、と説明しました. 彼らの何人かは、「汚れた霊に取り憑かれている」と信じている家族の手で、悪魔払いの司祭のところに連れて行かれまました。このように、同性愛を理由に子どもたちを拒絶する家族に何と言いますか?司祭や司教に何と言いますか?
教皇:この問題について私は、2 つの司牧訪問の機会に話しています。 ブラジル訪問の際、こう言いましたー「同性愛の傾向を持つ人が信者で、神を求めている場合、どう対応するか判断するのは誰ですか?(誰も判断できない)」。アイルランド訪問で、ある若者から手紙をもらい、その両親に私は明言しましたー「家から、彼を追い出すことはできません」と。
同性愛の犯罪扱いは、見逃してはならない問題です。 世界の50か国では、何らかの形で犯罪扱いを促進していると推定されています。同性愛者に罰則を適用するのは正しくありません。同性愛の傾向を持つ人々も神の子であり、神は彼らを愛し、神は彼らと歩みを共にされます。 さまざまな望ましくない状況のために、このような状態にある人がいるのは事実ですが、彼らを非難することは罪です。 同性愛の傾向のある人を犯罪者にするのは不当です。 このことを、私は「集団」について話しているのではありません。「人々」について話しているのです。
ある人は言いますー「彼らは”うるさい騒音”を発生させる集団に参加している」と。 私は「人々」について話している。 集団で政治的圧力をかけるのは別問題です。 私は「人々」について話しており、「カトリック教会のカテキズム」は、彼らを疎外すべきではない、と言っている、と私は判断しています. この点は明らかだと思います。
*ベネディクト16世の死が”政党”に属する人々に悪用されている
問:ここ数日、教会一致に関する多くの話がありました。 南スーダンでも、キリスト教徒の一致が示され、カトリック教会自体の一致も示されています。 ベネディクト 16 世の死後、感じておられることはありますか?
教皇:教皇ベネディクトとは、生前に、すべての問題を話すことができた、と言いたい。 彼はいつも私のそばにいて、私をサポートしてくれました。 問題はありませんでした。 同性愛者の結婚について、「結婚は秘跡であり、私たちは秘跡を授けることはできないが、フランスで始まった『財産権の法的保護』を確保する可能性がある」という具体的なことについて話したこともあります。民法上の一致は、カップルでなくても、誰でもできます。 例えば、定年退職された女性も… 収入の多い人も、です。
自分を偉大な神学者だと思っているある人が、友人を介して教皇ベネディクトのところに行き、私について苦情を言いました。 ベネディクトは 4 人のトップレベルの枢機卿の神学者に電話をかけ、「この問題について説明してください」と頼み、それで話は終わりました。苦情を受けて時にベネディクトがどのように行動されたかを示す逸話です。 ベネディクトが、後任の教皇のしたことに腹を立てたという話は”電話のゲーム”です。 私はいくつかの決定を下すためにベネディクトに相談しました. そして彼は同意してくれました。
ベネディクトの死は、”製粉所に粉を加えたい人々”によって悪用されてきたと思います. そして、彼のような「善良な人、神の人、教会の聖なる父」を搾取する人々は非倫理的な人々であり、教会ではなく”政党”に属する人々です。このように 神学的見解を政治化する傾向は、至るところに見られます。
*「無関心のグローバル化」が司牧訪問先の選択基準