(2022.8.15 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは15日、聖母被昇天の祝日にあたっての正午の祈りの説教で、信徒たちに、聖母マリアが私たち一人一人の手を取ってくださっていることを思い起こし、その神への信頼、忠実、そして”徹底した”模範に従うことを喜びとするように促され、「私たちの母であるマリアは、私たちの手を取り、歩みを共にし、喜びに誘ってくださいます」と語られた。
説教で、教皇はこの日のミサで読まれたルカ福音書に書かれたマリアがエリサベトを訪ね、二人が交わした会話を思い起こされ、「私たちの人生のあらゆる瞬間におけるマリアの積極的な役割と存在を認識するように、と語っているのです」とされたうえで、マリアの模範から学び、私たちは神がそばにおられることを知り、力づけてくださるようにすることができるか、自問するように勧められた。
そして、「優しさと小ささを通して、偉大なことを成し遂げる神の業を、私は識別できるでしょうか?… この聖母被昇天の祝日に、マリアは希望を歌い、私たちの心に希望の火を再び灯してくださいます」と信徒たちを励まされた。
*私たちの手を取り、喜びに誘うマリア
また教皇は、「聖母は、全身全霊をかけて天国にゴールする勝利を収めた、最初の被造物」とされ、「私たちに教えてくれていますー罪に屈することなく、謙遜をもって神を讃え、灌漑さをもって他の人々に仕えるなら、天国は手の届くところにある、と。私たちの母マリアは、私たちの手を取り、栄光への道を共に歩み、天国について思いをはせる喜びに誘ってくださるのです」と強調。
*美しく親しみのこもった”’Hail Mary”の祈りを唱える力
さらに教皇は、マリアが、いとこのエリサベトの家を訪ね、彼女に挨拶したのに対して、エリサベトが「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています」と言ったこと、信仰と喜び、不思議に満ちたその言葉が、”Hail Mary”(「こんにちは、マリア」の意味。カトリック中央協議会は「アベマリア」という表現)の祈りの一部になったことを思い起こされ、「とても美しく親しみのこもったこの祈りを唱えるたびに、私たちはエリザベスがしたようにしますーマリアに挨拶し、彼女を祝福します。それは、彼女が私たちのところにイエスを連れてきてくださるから、です」と説かれた。
そして、「マリアは、エリサベトの祝福を受け入れただけでなく、それに応えるMagnificat(マリアの賛歌)で、歴史の中での神の業に思いをはせ、主が力ある者をその座から降ろし身分の低い者を高くあげられたこと、飢えた人々を良いもので満たし、金持ちを空にして放り出したことを強調しています」とされたうえで、「この賛歌の言葉を聞いて、私たちは『乙女マリアは大げさに言っているのではないか、存在しない世界について述べているのではないか。貧しく、飢えた人たちはいまだにいるし、金持ちは繁栄を続けているのに』と考えるかも知れませんね」と信徒たちに問いかけられた。
*聖母は根本的な変化を告げられる
教皇は続けて、「マリアの賛歌は、時間軸に従って語ることを意図していません。それよりももっと重要なことを私たちに伝えようとしている。特に、神が、彼女を通して、歴史的な転換を画され、物事の新しい秩序を確立されたということ、をです」と述べた。
さらに、「マリアは、小さく、謙虚な方として成長し、世の力ある者たちが空手のままでいることを運命づけられる一方で、私たちが今日、祝っているように、天国の栄光に導かれました。そのことは言い換えれば、徹底した変革、価値の転換を告げるのです… 彼女は、息子イエスが語るであろうことを予測し”預言”しますーイエスは、貧しく、謙虚な者を祝福し、金持ちと自分自身が満足することに価値を置いている者たちに警告を与えるであろう、と。彼女は、奉仕と謙遜、そして愛が、権力や世俗的成功、そして金に勝ることを、すでに理解していたのです」と語られた。
*マリアの預言的な声は天国への道を明らかにする
説教の最後に教皇は、「栄光に包まれたマリアを見て、私たちは、真の力は奉仕であり、統治することは愛することだと理解します。これが天国への道なのです。私たちは思案するかも知れませんー『マリアが告げたこの予言的な”逆転”は、自分の人生に影響を与えるのだろうか?愛することが支配することで、奉仕することが力だということを、自分は信じるのか?自分の人生の目的は天国、楽園なのか?それとも、世俗的、物質的なものだけに関心があるのだろうか?』と」と問いかけたうえで、「悲観論にとらわれないように。神を信頼するように」と信徒たちを励まされ、次のように締めくくられた。
「私たちの祈りでマリアを祝福し、この地上で天国を垣間見ることができる、預言的な視野をくださるように願いましょう」
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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