☩「バチカンは女性の役割を高める努力を進めている」教皇、ブリュッセルのイエズス会士たちとの会合で

In Brussels, Pope Francis meets with Jesuits from Belgium, Luxembourg, and the NetherlandsIn Brussels, Pope Francis meets with Jesuits from Belgium, Luxembourg, and the Netherlands  (Vatican Media)

 

*「教会は女性。女性はカリスマに恵まれている」

 

 「教会は女性です」-教皇は、イエズス会士の一人の「教会において女性にもっと公正で適切な地位を与えることの難しさ」に関する質問に答えた。教皇は、「私は女性がカリスマに恵まれていると考えており、『教会における女性の役割』についての議論を『聖職』というテーマに限定したくはありません」と明言。

 そして、「一般的に、男性主義とフェミニズムは『市場』におけるテーマになっている… 今、女性をバチカンに迎え入れ、より責任ある役割を引き受けてもらう努力を一層、進めています」と強調され、さらに「状況は変化しています… それは実際に見て、感じることができます」と語られた。

 

*「バチカンでは女性を責任あるポストに就ける努力を強めている」

 

 教皇は、バチカン市国の次官が女性(シスター、ラファエラ・ペトリーニ)であること、人間開発省の次官も女性(シスター、アレッサンドラ・スメリッリ)であること、そして「司教任命チーム」には女性3人(シスター・ペトリーニ、シスター・イヴォンヌ・ルンゴート、シスター・マリア・リア・ゼルヴィーノ=2022年に司教省のメンバーに任命)がいることを挙げ、「彼女たちが候補者の選考を担当しているので、状況はずっと改善されています」とされ、「彼女たちの判断力は鋭い」と評価。

 奉献・使徒的生活会省でも次官は女性(シスター、シモーナ・ブランビッラ)であり、財務評議会でも副議長は女性(シャルロッテ・クロイター=キルヒホーフ)だ。「要するに、バチカンで、女性たちは高い責任を担う役職に就くようになってきています。私たちはこの道を歩み続ける。そして、物事は以前よりもうまくいっています」と女性たちの貢献を保証された。

 そして、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長と会われた時のことを振り返り、「私たちは特定の問題について話していた。私は彼女に『でも、あなたはこうした問題に、どう対処しているのですか?』と尋ねました。すると彼女は『私たち母親全員がやっているのと、同じやり方です』と答えました。彼女の答えは、私に多くのことを考えさせてくれたのです」と語られた。

 

*「移民・難民の悲劇は、『統合』の欠如の結果だ」

 

 教皇は、移民・難民に対する対応を明確に表現するために4つの動詞を挙げた。それは「歓迎」「寄り添い」「促進」「統合」だ。これが欠けていると、「深刻な」問題になる。

 「移動先の人々と一緒にならない移民・難民は悲惨な結末を迎えるが、彼らが暮らす社会も同様です」と指摘された教皇は、2016年にベルギーのザベンテム空港で起きたISIS所属のテロリスト2人による襲撃で16人が死亡した事件を振り返り、「この悲劇も統合の欠如の結果です」と注意された。

 そして、「教会は移民・難民に対する取り組みを真剣に受け止めねばならない」と付け加えた。

*「少子・高齢化する欧州に、移民が必要、それは生き残りの問題」

 

 また教皇は、「私の心の奥底にある一つのこと」として、「欧州では、子供がいなくなり、高齢化が進んでいます。(活気を失った)社会生活を一新するために移民が必要。今やそれは生き残りの問題となっている」という現実を繰り返し指摘された。

*「司祭の召命は少ない、だがそれよりも教会共同体が重要だ」

 

 子供が少ないだけでなく、司祭の召命も少ない。ある会士は、「司祭のいない教区コミュニティの将来をどう見ていますか?」と聞いた。教皇は、「教会共同体は、司祭よりも重要です。司祭は教会共同体の奉仕者ですから」と答えられた。

 そして、ペルーの修道女会のように「『司祭がいない所に行く』という独自の使命」を持つ、世界の一部で指導的役割を担う修道女たちの例を挙げ、「彼女たちは説教をし、洗礼を授け、あらゆることを行っています。司祭がそこに派遣されたら、彼女たちは別の場所に行きます」と語られた。

*「イエズス会士は何も恐れてはならない」

 

 福音宣教に関して、教皇は、欧州で最も”世俗化”された国の一つであるベルギーの状況を見て、「イエズス会士は何も恐れてはなりません… 『祈りの中で神を求める勇気』と『国外に出て行く勇気』という2つの勇気の間で緊張感をもつのがイエズス会士です」と強調され、見習うべき「師」として、マテオ・リッチ神父、ロベルト・デ・ノビリ神父、その他の偉大な宣教師たちを挙げ、彼らは「勇敢な行動で教会の一部の人々を怖がらせた」が、「文化融合の限界を設けていた」と語られた。

 そして、「この限界は『識別』によって探求せねばなりません。そして、それは祈りによって識別されます」とされ、イエズス会は、「限界ぎりぎりの困難な状況で、限界を探求して発展した。これが私たちの精神性の素晴らしさであり、リスクを冒すことです」と述べられた。

 

*「『聖職者主義』が教会における対話を妨げている、『聖職者主義』のあるところに『奉仕』はない」

 

 また教皇は、”世俗化”という「複雑な現象」、「異教の形態」について次のように語られた。

 「異教について語るのに、『異教の神の​​像』は必要ありません。私たちが呼吸する環境、空気そのものが”異教”なのです。私たちはこの文化に、証し、奉仕、信仰という観点から説教をせねばなりません。そして、内側から祈りをもって説教せねばなりません」と説かれた。

 そして、「『奉仕』は『対話」を実りあるものにしますが、対話は教会の強力な『聖職者主義』によって妨げられることが多い。聖職者主義があるところに『奉仕』はありません。どうか、『福音宣教』と『布教』を混同しないでください!」と注意された。

*「『知的使徒職』も重要、イエズス会士の使命の一部だ」

 

「知的使徒職」も重要であり、イエズス会士の使命の一部であり、「学問、研究、そしてコミュニケーションに存在感を発揮せねばなりません」と注文。「はっきりさせておきましょう… イエズス会の総会が『人々の生活や歴史に介入する』と宣言するとき、それは『カーニバルをやる』という意味ではない。『最も制度的な分野にさえも介入』するという意味です。良い意味で、ある程度の『厳格さ』をもって。そして、常に非公式なものを求めるべきではありません」と注意された。

*「シノダリティ(共働性)は恵み、それによって、シノドス総会で物事が明らかにされる」

  進行中の世界代表司教会議(シノドス)総会のテーマであるシノダリティ(共働性)についての質問に対して、教皇は「シノダリティ(共働性)は容易ではありません。対話の側面に注意を払う”権威者”がいるからです」と述べ、「指導者は自分で決定を下せるが、”諮問機関”と共に決定を下すことができます。司教もそうであり、教皇もそうなのです」と強調。

 そして、このシノドス総会で「物事はまさにシノダル(共働的)な仕方で明らかにされる」ことを確信している、と語られ、「教会におけるシノダリティ(共働性)は恵みです!権威はシノダリティ(共働性)の中で遂行されるのです」と期待を表明された。

 

 

 

*「アルぺ神父の列聖問題は”未解決”、ボードアン国王の列福作業開始は自分で判断した」

 最後に、教皇は、1965年から1983年までイエズス会総長を務め「神のしもべ」と宣言されたスペイン生まれのペドロ・アルペ神父の列聖問題は”未解決”であることを確認。「問題は彼の著作群の評価です…非常に多くの著作を残しており、その分析・評価には時間がかかります」と説明した。

 また、もう一人の「偉大なイエズス会士」、アンリ・ド・リュバック神父については、「彼の件が(検討対象として)紹介されたかどうか知らない」とされ、ベルギー訪問中にボードアン国王の列福のための作業開始を宣言されたことについては、「私が自分で判断しました。なぜなら、私たちがその方向に進んでいるように思えるからです」と述べた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2024年10月8日