
(2025.2.2 Vatican News Lisa Zengarini)
教皇フランシスコは2日、「主の奉献」の祝日の正午の祈りに先立つ説教で、この祝日の意味について、「イエスがすべての人々の救いであり、私たちの光であることを思い起こさせるもの」とされ、信者たちに、神との出会いを真に求めるよう呼びかけられた。
説教で教皇は、この日のミサで読まれたルカ福音書(2章22-40節)に書かれた「幼子イエスを連れてエルサレムの神殿にやって来たマリアとヨセフのエピソード」を取り上げ、その場面で、シメオンとアンナがイエスについて語った預言的な言葉に注意を向けられた。
「シメオンたちが、イエスを『神の約束の成就』と認識したことは、この瞬間の根本的な新しさを強調しています。神は民の中に存在している。それは神が”四方を壁に囲まれた中”に宿っているからではなく、神が人として人々の間に生きているからだ、ということを」と教皇はと語られた。
*シメオンがイエスについて語った三つの言葉は
続けて教皇は、「自分たちの幼子についてシメオンがこのように宣言したことに、深く感動し、驚いたマリアとヨセフは、シメオンがイエスを『救い』『光』『反対を受けるしるし』という3つの重要な言葉で表現するのを聞きました」とされた。
一つ目の言葉は、「『イエスは救い』。シメオンは、この幼子の中に普遍的な救いが示されている、と宣言しました。それは、神の贖いの愛が一人の人間に完全に具現化されていることを強調する、畏敬の念を抱かせる真実です」と指摘。
二つ目の言葉は「『イエスは光』。イエスは昇る太陽のように世界を照らし、苦しみ、悪、死の闇を追い払う。それらの闇は、今日もなお、人類を苦しめ続けています」。
そして三つ目の言葉は「『反対を受けるしるし』です。それは、人間の心の奥底にある真実を明らかにし、 イエスを通して、歴史は『愛』という一つの基準によって裁かれるのです… イエスは、すべての歴史とそのドラマの中で、私たち一人ひとりの人生が裁かれる基準を明らかにされます。 この基準とは『愛』である。愛する者は生き、憎む者は死ぬのです」と説かれた。
説教の最後に、教皇は、信者たちに自らに次の問いかけをするよう促された―「私は、人生で何を待っているのか?」「 私の最大の希望は何か? 」「心から主の御顔を拝みたいと願っているか?」「 人類に対する神の救済計画の実現を待っているか?」。
そして、すべての人がマリアと共に祈り、「マリアが、歴史の光と影を共に歩み、主への旅路を導いてくださいますように」と願われた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)