☩「イエスの弟子としての喜びを新たにしよう」年間第二主日の正午の祈り

(2024.1.14 Vatican News  By Thaddeus Jones)
   教皇フランシスコは14日、年間第二主日の正午の祈りの前の説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書に記されたイエスが初めて弟子たちと出会われた箇所(1章35-41節)を取り上げ、「私たちも、主の弟子としての出会いの喜びを新たにするように」と説かれた。
 教皇はまず、「 主の弟子であるということは、最初の弟子たちがメシアを発見したときと同じように、『主を探し求め、共にいて、主を発見した喜び』を他の人と分かち合うことを意味します」と述べられた。
*主を探し求める
 そして、「(ヨハネ福音書のこの箇所で)二人の弟子はイエスに出会ったとき、イエスから『何を求めているのか』と尋ねられました。この問いかけは、二人が心に抱いていること、本当に望んでいることを見つめるように、促しているのです」と語られ、「主は、自分自身に疑問を持ち、御言葉によって自分自身に挑戦する人々を望んでおられます」と付け加えられた。

 

*主と共にいる

 続けて教皇は、二人の弟子が、ヨハネの「見よ、神の子羊だ」というのを聞いて、イエスに従い、「どこに泊まっておられるのですか」と尋ねると、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と招かれた箇所を取り上げ、「信仰には、主との出会い、そして主と共にいることが含まれます。主と共にいること、これが主の弟子にとって最も重要なことです」と強調された。

 

*喜びを他の人に伝える

 そして、二人の弟子は、「イエスと出会ったことの喜びと賜物を他の人々と分かち合うようになりました」と続けられた。

 ヨハネ福音書のこの箇所で書かれている二人の弟子のうちの一人、アンデレは、イエスが「ペトロ」と呼ぶことになる弟のシモンに、急いでそのことを伝える。教皇は「 イエスとの出会いは非常に強烈だったので、彼らはその時のことを一生覚えていました。『それは午後4時ごろのことである』という記述に表されています」と指摘された。

*喜びを新たにする

 説教の最後に教皇は、「私たちが主との最初の出会いを振り返り、祈りと省察を通して新たに主を求めることで、自分自身の熱意を新たにする。それが他の人たちと喜びを分かち合うことにつながります」と語られ、「イエスの最初の弟子である至聖なるマリアが、主を探し求める強い願望、主と共にいたいという強い願望、そして主を宣べ伝えたいという強い願望を私たちに与えてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2024年1月15日