(2024.5.4 Vatican News Lisa Zengarini)
フランスのブルゴーニュ地方アラコックの聖マーガレット・マリアへのイエスの御心の出現350周年を記念して5月1日から5日にかけて、カトリック教会における性的虐待に対する、あるべき霊的対応と償いについて考える「取り返しのつかないものを修復する」をテーマにした国際会議が、聖職者や一般信徒など約150人が参加してローマで開かれた。
教皇フランシスコは4日、参加者たちと会見され、会議が開かれたことを歓迎するとともに、「償いの概念は、聖書によく見られるが、新約聖書ではキリストとその十字架上の犠牲によってもたらされた救いの枠組みの中で精神的なプロセスの形をとっています」とされ、「ここでの斬新さは、罪人に対する主の憐れみを明らかにしていること。つまり、償いは人間同士の和解だけでなく、神との和解にもつながるのです。それは、隣人に対して犯した悪は、神に対する罪でもあるからです」と語られた。
続けて教皇は、この会議のテーマは「たとえ深い傷を負っても、すべての傷は癒やされる、という希望を私たちに与えています」とされ、「財産や愛する人が永久に失われたり、特定の状況が深刻になった場合、完全な償いを受けるのは不可能に思えることが時々あります。 しかし、和解のプロセスと心に平和を取り戻すためには、『償いをする』という意思とそれを具体的な行動でしめすことを、欠かすことはできません。そして、あらゆる償いは、自分の罪を認めることから始まります」と説かれた。
さらに、償いが真にキリスト教的であり、「単純な交換的正義の行為ではない」ことを明確にするためには、「自分自身が有罪であることを認めることと、赦しを願う、という2つの厳しい態度が前提とされねばなりません。人間的なものであれ、霊的なものであれ、いかなる償いも、自分の罪を認めることから始まるのです」と強調された。
「兄弟に与えた害を正直に認識し、愛を傷つけてしまった、という深い反省の気持ちから、償いをしたいという願いが生まれます。そして、「(虐待して相手と神に)赦しを請うことは、『対話を再開し、兄弟愛における絆を再び確立したい』という願いを表明するものでもあり、償いをする、あるいは償いをしたい、という単純な願望さえも、赦しを求める信憑性を保証するものとなる。そうして、取り返しのつかないことが完全に修復できなくても、愛はいつでも生まれ変わることができ、その傷は耐えられるものになるのです」と説かれた。
最後に、教皇は、この会議が「聖マーガレット・マリアによって始められ、今日ではやや忘れられているか、時代遅れだと考えられている『イエスの聖心への償いの実践』の意味を新たにし、深めることができるように」と願われた。
「教会が、虐待被害者を経済的、法的なレベルで支援するのは当然だが、精神面での償いも必要」と会議主催者
教会における性的虐待がもたらした危機に対する適切な霊的対応とは何か? これが、ローマで開かれた国際会議「修復不可能なものの修復」会議で提起された問題だ。
この国際会議を企画・主催したフランスのエティエンヌ・カーン神父が会議の目的について、LaCroix に語った。神父は、「教会は、性的虐待がもたらした危機による霊的影響に対応し、必要な償いに取り組む必要がある。被害者を支援し、深く動揺したキリスト教共同体の間で信仰を回復する必要性を改めて確認することにある」と強調。
「被害者の声に耳を傾け、心理的、経済的、法的なレベルで支援することは絶対に必要ですが、それだけでは十分ではない。被害者の中には、精神的にも傷を負っている人がおり、明らかに精神的な償いの側面を尊重するよう教会に求めている人もいます」と述べた。
エティエンヌ・カーン神父はインタビューでラ・クロワのジル・ドナダに語り、会議の目的について語った。
ローマで5月1日から5日まで開催された会議の参加者たちは、カトリック教会における性的虐待に対する適切な霊的対応と賠償について考えている。 教会における虐待の危機に対する適切な霊的対応とは何でしょうか? 会議で提起された質問です。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)