◎連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」⑬「聖性は、少数者の特権ではなく、洗礼を受けた全ての人のもの」

(2026.4.8  Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

  教皇レオ14世は1日の水曜恒例一般謁見での連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」で、引き続き教会憲章『Lumen gentium』を取り上げられ、今回は第5章「教会における聖性への普遍的召命について」のテーマである「聖性」は「少数の者の特権ではなく、すべての洗礼を受けた者のものであり、私たち一人ひとりが喜びをもって、神の恵みの中で生き、徳を実践し、キリストに倣うよう召されているのです」と強調された。

 初期教会とと同様に現在の教会でも、「聖性の最高位は殉教、すなわち信仰と愛の至高の証しです」とされ、教会憲章も、すべての信者が『かつてそうであったように、今日も変わらない。血を流すことになってもキリストを告白する覚悟を持たなければならない』と教えています」とされた。そして、「この証しは、キリスト者が社会に信仰と愛のしるしを残すたびに実現される。神に応答するたびに、日々の生活の中で現れる… すべての洗礼を受けた者が、愛の完全性、すなわち神と隣人に対する愛の充満を目指して努力することを求める賜物なのです」と説かれた。

*聖なる生活の育成

 また教皇は謁見に参加した信者たちに、「すべての秘跡、とりわけ聖体拝領が、聖なる生活の育成を促す糧であり、すべての人を、聖性の模範であり尺度であるキリストに似た者とするものなのです」と指摘。「イエスが教会を聖化される。その観点から言えば、聖性は主からの賜物であり、私たちが喜びをもってそれを受け入れ、献身をもって主に応えるたびに、私たちの日常生活の中で現れるものです」と付け加えられた。

 続けて教皇は、聖パウロ6世が1965年10月20日の一般謁見で、教会が真の教会であるためには、すべての洗礼を受けた者が「聖なる者、すなわち真にふさわしく、強く、忠実な教会の子供たちでなければならない」と教えたことを思い起され、「これが内的な変容として実現され、聖霊の力によって一人ひとりの人生がキリストに似せられていくのです」と述べられた。

 

 

*真剣な生活の変革への招き

 教皇は、この教会憲章が「カトリック教会の聖性を、その構成的特徴の一つ」としているが、「これは、教会が『完全かつ完璧な意味で聖化されている』のではなく、『永遠の目的地へ向かう巡礼の旅路で、世の迫害と神の慰めのただ中を歩みながら、この神からの賜物を確かなものとするよう招かれていること』を意味します」と説かれた。

 そして、「教会、すなわち私たち全員における罪という悲しい現実は、私たち一人ひとりが『愛によって私たちを新たにしてくださる主に身を委ね、真剣な生活の変革を行うように』と招いているのです。教会を聖化するこの無限の恵みこそが、私たちに日々果たすべき使命、すなわち私たちの回心という使命を授けている」とされ、「したがって、聖性は、たとえどれほど偉大であれ、倫理的誓約に還元できるかのような単なる実践的な性質を持つだけのものではなく、個人的にも共同体的にも、キリスト教生活の真髄そのものに関わるものなのです」と強調された。

 

*束縛ではなく、解放をもたらす賜物

 この点に関して、教皇は特に、福音的勧告―貧しさ、貞潔、従順―を通じて自らの生涯を神に奉献する男女に注意を向けられ、彼らの奉献生活は、「純粋な心をもって父なる神に自らを捧げたキリストを模範とし、神の摂理に対する完全な信頼を表している… これら三つの徳は、自由を束縛する規則ではなく、聖霊による解放の賜物であり、それを通して神に完全に奉献されるのです」と語られた。

 また、「貧しさ」は、「神の摂理への完全な信頼を表し、計算や自己利益から人を解放するもの」であり、「従順」は、「キリストが父に捧げた自己奉献を模範とし、疑いや支配から人を解放」し、「貞潔」は、「神と教会の奉仕に捧げられた、愛に満ちた完全で清らかな心の賜物」。「この生き方に従うことによって、奉献された人々は、徹底した弟子としての生き方という形で、教会全体の聖性への普遍的な召命に証しをするのです」と指摘。

 そして、「福音的勧告は、十字架に至るまでのキリストの生涯への完全な参与を明らかにします。まさに、十字架につけられた方の犠牲によって、私たちは皆、贖われ、聖化されるのです!」と言明された。

*神が贖われない人間の経験などない

 講話の終わりに教皇は、「神が贖われない人間の経験などないことを、私たちは知っている。主の受難と結びついて生きる苦しみでさえ、聖性の道となるのです」とされ、「人生を変容させる恵みは、あらゆる試練の中で私たちを強め、遠い理想ではなく、愛ゆえに人となられた神との出会いを指し示してくれるのです」と強調。受肉した御言葉の至聖なる母である聖母マリアに対し、私たちの歩みを常に支え、守ってくださるよう懇願された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年4月8日