◎教皇連続講話「識別について」④ 「祈りと自己認識が私たちを自由の中で成長させてくれる」

Pope Francis(2022.10.5 Vataican News   Benedict Mayaki, SJ

   教皇フランシスコは5日、水曜恒例の一般謁見で、「識別について」の連続講話を続けられ、すべてのキリスト教徒に対し、「自分が何に最も敏感であるかを発見し、自分にとって何が本当に重要であるかを知るために、忍耐強く自己を深く省みることで、探求することにより、自己認識に全力をかけるように」と勧められた。

 講話で教皇はまず、「優れた識別には、自己認識も必要です。それには記憶、知性、意志、愛情といった人間の能力が関係しているからです」とされ、「多くの場合、私たちは自分自身を十分に知らず、自分が本当に何を望んでいるか分からないために、物事を見分ける方法を知りません」と語られた。

*宗教的次元と人間的次元との対話

 そして、「根底的な霊的疑惑と召命の危機が、信仰生活と私たちの人間的、認知的、感情的な側面との間の対話が十分に行われていないことからくるのも、珍しくありません」と述べられ、「識別をテーマとする多くの困難が、認識され、探求されるべき、他の種類の問題を、いかに暗示しているか」と訴える霊性に関する高名な著作家の言葉に言及することで、そのことを例証された。

 その著作家は、「真の識別と祈りにおける真に成長の最大の障害は、神の触れることのできない特質ではなく、『私たちは自分自身を十分に知らず、ありのままの自分を知りたいとさえ思っていないこと』、そして 『私たちの大部分は、人前だけでなく、鏡で自分を見るときも、仮面の後ろに隠れていること』だ、という確信を表明している。

 「人生における神の臨在を忘れることは、私たち自身、私たちの性格の特質、そして私たちの最も深い欲求についての知らないことと、密接に関係しています」と教皇は述べられた。

*自分自身を知ること

 続けて、「自分自身を知ることは難しいことではありませんが、骨の折れる作業です… それは忍耐強く自己を探求することであり、立ち止まり、”自動操縦装置”を無効にする能力、自分の行動様式、自分に内在する感情、自分をしばしば無意識のうちに条件づける繰り返し起きる思考について認識する能力が求められます」と指摘。

 さらに、感情と精神的な能力を識別し、「私は感じている」と「私は確信している」を区別し、「私はしたい気がする」は「私はしたい」とは同じでないことを知る必要があり、そうすることで、「自分と現実についての見方が多少歪んでいることがよくあることに、気がつくようになります」と語られた。

 そして、「そのことに気づくことは、恵みです!」とされ、「そうでないと、私たちは過去の経験に戻づく現実についての誤った確信から強い影響を受け、人生で本当に重要なことのために努める自由を制限されることが、頻繁に起こってしまうからです」と説かれた。

 

*霊的”パスワード”と誘惑

 

また教皇は、「高度に情報化された現代、プログラムに入るのにパスワードが必要とされるのと同じように、霊的生活にも”パスワード”があります。それは、私たちにとって最も敏感なものに関わるゆえに、心に触れる”キーワード”です。そして、私たちを誘惑する悪魔は、その”キーワード”を知っています」と警告。

そのうえで、「自分が好まないところにいる事態を避けるために、私たちもそれを知っていることが、重要です。なぜなら、誘惑は、いつも悪いことばかりを持ちかけるのではなく、でたらめなことを、極めて重要であるかのように示すことがあるからです」と注意された。

教皇はさらに、「誘惑は、心をかき乱す魅力なやり方で私たちを催眠術にかけ、美しいが幻想的で、約束されたが果たされず、最終的には虚脱感と悲しみを残すのです。そうした誘惑には、学位、出世、人間関係が含まれる場合があります。それ自体は素晴らしいものですが、私たちが自由に判断できなければ、それを求めることが、非現実的な期待に終わる危険があります… そのような誤った判断から、大きな苦しみが生まれる。それが私たちの尊厳を保証するものではないからです」と言明され、自分自身を知ることの重要さ、自分を操る説得力のある言葉をかける者から自分自身を守れるように敏感であることの重要さ、を強調された。

 

*良心の糾明を習慣とするように

 そして、教皇は、人生の道を歩むうえで私たちを助ける手立ての一つとして、良心を糾明することを勧められた。

 「それは、私たちの日々の生活で起きていることを冷静に見つめ直す、良い習慣であり、そうすることで、私たちが最重要視するもの、探しているものとその理由、そして最終的に見つけたものを評価し、選択することに気づくようになります… そしてまた、心を満たしてくれるものを認識するのを学ぶのにも役立ちます」と説かれ、「私たちの価値を確認できるのは、主だけであり… 主が私たちを優しい抱擁してくださるのを妨げる障害や失敗はないからです」と強調された。

 最後に教皇は、「祈りと自己認識は、キリスト者としての存在の基本要素、人生における自分の居場所を見つけるための貴重な要素として、私たちを自由の中で成長できるようにするものなのです」と念を押された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年10月5日