(2024.12.11 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは11日、水曜恒例の一般謁見で、連続講話「聖霊について」の締めくくりに、聖霊は「絶えることなく流れ出るキリスト教徒の希望の源」をテーマに取り上げられた。
講話で教皇はまず、終末論的な呼びかけであるヨハネの黙示録にある「来たりませ」(22章17節)という言葉が、復活したキリストに「霊と花嫁」が呼びかけたものであることに目を向けられ、「イエスの最終的な到来に対する私たちの希望は、常に教会の中に存在しているもの」と指摘。同時に、教会は「現在と巡礼の状況」において、「キリストが到来され続けることも期待しています」と語られた。
また、教皇は、「来たりませ」という祈りに対する教会の理解が進歩してきたことにも言及され、かつては「習慣的に」キリストのみに祈りを捧げていたが、現在では、『Veni Creator Spiritus』や『Veni Sancte Spiritus』のように、聖霊にも祈りを捧げている、とされた。
そして、「主が復活された後、聖霊はキリストの真の分身であり、教会においてキリストがおられ、働かれるようにする存在… だからこそ、キリストと聖霊は、救いにおいても不可分なのです」と説かれた。
教皇は続けて、「聖霊は、キリスト教徒の希望の、絶えることのない泉であり、教会を歴史の海へと進める『帆』です」とされ、「希望とは、空虚な言葉や漠然とした願望ではなく、神の忠実さに基づく確信であり、したがって神学的徳目なのです」と指摘。
さらに、「キリスト教徒は希望を持つだけで満足してはなりません… 希望を”放射”する必要があります。なぜなら、希望は、教会が全人類に与えることのできる最も美しい贈り物だからです」と強調された。
教皇は講話の最後に、聖ペトロの言葉を引用する形で、「あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、優しく、敬意をもって、正しい良心で、するように」(ペトロの手紙1.3章15、16節)と信者たちに勧められた。
そして、「なぜなら、人々は説明の力強さよりも、その説明がもたらす愛によって納得するからです… そして、これは最も効果的な宣教の仕方です。この仕方は、すべての人に開かれているのです」と説かれた。
教皇は、聖霊が私たちを常に「希望に満ちあふれさせる」よう助けてくださるように、と祈られ、「聖霊について」の17回にわたる講話を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)