*カリスマは個人の聖化だけでなく教会の構築を目的とする
続いて、教皇は、カリスマを定義する2つの重要な要素を示され、まず、「カリスマは『共通善』のために与えられるものであり、個人の聖化だけでなく、教会の構築を目的としています」、次に、「カリスマは聖霊の意志に従って、唯一無二に、個人に合わせて分配されます」と説明。「これはカリスマを秘跡や徳行と区別するものであり、信者たちに普遍的に共有されるもの… カリスマは、聖霊がキリストの花嫁をより美しくするために配る『宝石』や装飾品のようなものです」と語られた。
*カリスマは女性の地位向上を促進する
カリスマの重要性を考察する中で、教皇は、カリスマを再発見することが、信徒、特に女性の地位向上について「制度上および社会学的側面だけでなく、聖書的および霊的側面からも理解を促す」のを保証する、とされ、「信徒は単に聖職者の協力者や補助部隊ではなく、彼ら自身にもカリスマと賜物があるのです」と強調された。
*カリスマについての誤解を解く
さらに、教皇は、「カリスマについての”誤解”を解きたい、と思います… 多くのキリスト教徒は、カリスマについて耳にしたとき、『自分にはカリスマがない』と思い込んでいるため、悲しみや失望を覚え、自分たちは仲間はずれにされている、あるいは”二流のキリスト教徒”だ、と感じることがある。でも実際には、カリスマは、並外れた、あるいは目を見張るような現象に限定されるものではなく、むしろ、愛と聖霊に触発されたときに、『並外れた価値を持つ普通の賜物』となることが多いのです」と語られた。
そして、 そのような賜物に恵まれていない、と感じている人々に対して、「あなたがたは、除外されているわけではありません」と断言され、 聖アウグスティヌスの言葉を引用して、もしあなたが愛しているなら、それはあなたが何も持っていない、ということではありません。 愛はカリスマを増殖させます。 ある人のカリスマを、すべての人のカリスマにするのです」と説かれた。
講話の最後に教皇は、慈善を「さらに優れた方法」と表現し、「慈善は、教会の一致の中で、すべてのカリスマを共有することを可能にします… 慈善は、私に教会を愛させ、そして、一致の中で、すべてのカリスマは私のものとなる。私のものはすべての人に属しているのと同じように」と述べられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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