(2024.6.12 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは12日の水曜恒例一般謁見で、「聖霊について」の連続講話を続けられ、今回は、神の啓示における聖霊の働きを取り上げ、「聖霊は、聖書に息を吹き込むだけでなく、聖書が(読む人に)息を吹き込めるようにするのです」と説かれた。
そのうえで教皇は、「聖霊の働きは、息を吹き込むことで終わるわけではありません… 教会において絶えず働き、聖書の意味を説明し、聖書を永遠に生き生きと活動的なものにします」と語られた。
そして、私たちが「感情を持たずに」何度も読んだことのある聖書の一節に息が吹き込まれる例として、 「ある日、信仰と祈りの雰囲気の中で聖書を読み、そこに、思いもしなかった神の啓示が聖霊によって与えられること」を示された。
教皇は続けて、「教会もまた、聖書に霊感を与えた聖霊の導きのもとに、聖書を読むことによって養われるのです。キリストの花嫁である教会は、霊感を受けた聖書の公認の解釈者であり、真正な宣言の仲介者なのです」と強調された。
そのうえで、聖書を個人的かつ瞑想的に読むレクティオ・ディヴィナの価値を強調しつつ、「聖書の霊的な読みの真髄は、典礼、特に聖なるミサで行われる共同体としての読みです」と指摘。
さらに、「私たちが毎日ミサや聖務日課で聴く多くの神の言葉の中には、必ず私たちのために特別に意味のある言葉があります」とされ、「私たちの心に受け入れられると、その言葉は私たちの一日を明るくし、祈りを鼓舞することができます」と付け加えられた。
講話の最後に、教皇は「神の言葉に恋するのに役立つ考え」として、聖アウグスティヌスと聖グレゴリウス1世の言葉を引用され、「聖書は神が被造物に宛てた手紙のようなもの。神の愛の豊かさを語るもの以外の何物でもありません」と語られた。そし、「聖書に霊感を与え、今や聖書とともに息づいている聖霊が、私たちの人生のそれぞれの状況の下で神の愛を理解できるように、を助けてくださいますように」と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)