教皇フランシスコは22日の水曜恒例の一般謁見で、「老年の価値と意味について」の講話をお続けになり、「年配の人たちは、キリストに従い、キリストを証しするために、自分の弱さと無力さを受け入れる必要があります」と語られた。
この日の連続講話で教皇はまず、ヨハネ福音書の最後の部分にある、復活されたイエスがペㇳロと食事後に交わした会話(21章15-23節)を振り返り、「人は年齢とともに体力を徐々に失っていくが、それがキリストに従う新たな道を歩み始める機会となる」と指摘。
また、この会話で示されたペトロのイエスとの関係は、「優しく、直接的で、自由で、開かれたものであり、悲しみをもらたすようなものではないー”真実の関係”です」とされた。
*真理を甘く包み込む
イエスはペトロに「私を愛しているか」と聞かれ、「それはあなたがご存じです」と答えたペトロに、「私の羊の世話をしなさい」と言われる。「それでも、二人はいつものように、同じやり取りを繰り返します… イエスと弟子たちとのこのような関係ーとても開放的で、とても率直で、とても直接的で、とても人間的な関係ーを、私たちがもち続けられるでしょうか」と問いかけ、「私たちが陥りやすい傾向は、福音書で明らかにされた真理を”甘く包み込み”、イエスから離れることです」と指摘された。
*虚弱な中での忠実さ
また、教皇は、「イエスは、ペトロに対して、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行くが、年を取ると、他人に帯を示され…と弱さを伴うようになる、と警告しておられます」いるとされ、「イエスの言葉は、ペㇳロに殉教と死をほのめかすだけでなく、老後に新しいやり方で証しをすることを学ぶように促している、と理解することもできます」と語られた。
そして、「主に倣う人は、身なりを整え、歩く時でさえも、自分の弱さ、無力、他者への依存によって、導かれ、形作られるのを認めることを学ばねばならない… 老年期に、私たちは、他者に大きく依存する暮らしの中で、着実に証しすることを学ぶのです」と強調。「自分自身の力ではなく、他の人に頼る弱さが顕わになる人生のこの時期の意味を真に理解することのできる霊性が、私たちにあるでしょうか?」と問いかけられた。