◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」㉔現代世界憲章(1)「教会は、人類に奉仕し、社会の矛盾を暴くよう求められている」

*私たちは「無関心の傍観者」のままではいられない

 講話で教皇は、「緊張や紛争、そして多くの変化に彩られたこの時代において、教会は現実―その矛盾も含めて―と向き合い、人類、とりわけ最も弱い立場にある人々に奉仕するよう求められている」とされ、「教会は、現在の出来事、歴史、そして人々の生活、とりわけ今日私たちが経験している急速かつ深遠な変化に直面して、あらゆる受動性や無関心を捨て去らねばなりません」と信者たちに強く促された。

 そして、「私たちは、無関心の傍観者のままでいることはできない。心で耳を傾け、挑戦を受け入れ、関与していかねばなりません。キリストと共に、そして御霊の力に支えられて、信者たちは兄弟姉妹の重荷、とりわけ不正、差別、暴力によって押しつぶされている人々の重荷を担うよう求められているのです」と強調された。

*教会は「現実」と向き合い、キリストを全人類の歴史の鍵であることを示さねばならない

 さらに、「『教会が人類に関与するよう求められている』は、現実と向き合うこと、そして現代世界における個人生活や社会生活を特徴づける矛盾を暴くことが、私たちに課せられている、と言う意味なのです」と指摘。

 向き合うべき「現実」の例として、教皇は、「富や資源が極めて豊富で、経済力も強まっているにもかかわらず、第二バチカン公会議が開かれた1960年代当時と同じように、今日も、世界の市民の大部分が…依然として飢餓と貧困に苦しめられていること」、あるいは、「『地球の未来が危機に瀕している』という共通の認識がある一方で、利己的な消費を断ち切ることができず、『戦争こそが平和を築く有効な手段だ』という幻想が今も抱かれていること」などを挙げられた。

 そのうえで、「深刻な変化に特徴づけられ、憂慮すべき不均衡を生み出しているこの時代において、教会は人間に奉仕するよう求められており、人々の心の奥底にある問いや内に宿る渇望に耳を傾け、受け止めつつ、キリストを『……全人類の歴史の鍵であり、中心であり、目標である』と示さねばならないのです」と訴えられた。

*『現代世界憲章』は「『時代のしるしを精査し福音の光に照らして解釈」する教会の使命を思い起こさせる

 教皇はまた、聖ヨハネ23世教皇が1962年の第二バチカン公会議の開会演説で、「自らの時代が、過去の時代よりも悪い」と信じる人々に異議を唱えられたのを思い起こされた。

 そして、「ヨハネ23世は、その時代においても、歴史のあらゆる瞬間と同様に、『人は、神の摂理の神秘的な計画を見出さねばならない』と強調されました。神の計画は、人々の働きを通じて、しばしば彼らの予想を超えて成就され、知恵をもって、教会の益となるよう、たとえ逆境にある人間の事柄でさえもすべてを整えていくものです」と指摘。

 そのうえで、教皇は、「『現代世界憲章』の公布は、この見極めの中に「教会の本質的な要素を認めたもの。すなわち、受肉によって、私たちと生活を分かち合うことを選ばれたのと同様に、キリストは、教会に対しても、同じように人類と関わりを持つよう呼びかけている」とされ、「それゆえ、公会議が公布した『現代世界憲章』は、教会が『この時代の人々、とりわけ貧しい人々や何らかの苦難に直面している人々の喜びと希望、悲しみと不安』を自らのものとする、と宣言することから始まっているのです」と説かれた。

 この点に関して、教皇は、『現代世界憲章』が、「『時代のしるしを精査し、福音の光に照らして解釈する、という教会の絶え間ない義務、そして真理を証しし、すべての人に奉仕したキリストの業を前進させる』という教会の使命を、改めて思い起こさせます」と述べられた。

 そして、「これが、単なる道徳的義務ではなく、教皇フランシスコが語られたように、『貧しい人々への選択は、文化的、社会学的、政治的、あるいは哲学的なものというよりも、まず第一に神学的な範疇にあります」と指摘。

 同教皇の使徒的勧告「福音の喜び」を引用する形で、「私たちは、彼らの中にキリストを見出し、彼らの大義のために声を上げるだけでなく、彼らの友人となり、彼らの話に耳を傾け、彼らの代弁者となり、神が彼らを通して私たちと分かち合いたい、と願っておられる神秘的な知恵を受け入れるよう求められているのです」と強調された。

 講話の最後に教皇は、「喜びと希望―gaudium et spes―が、現代の男女に寄り添いながら福音を宣べ伝え、その証しをする教会の際立った特徴となりますように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年9月2日