◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」㉓『典礼憲章』最終回「典礼への積極的参加は、神との深い関係へ導く―信徒は受動的になるな」

Pope Leo XIV during the Wednesday General Audience on August 26Pope Leo XIV during the Wednesday General Audience on August 26  (@Vatican Media)

 8月26日の水曜一般謁見で、教皇レオ14世は、「第二バチカン公会議を学び直す」の連続講話をお続けになり、今回は『典礼憲章』の8回目、最終回として、「典礼改革の推進」という第二バチカン公会議の決定がなぜ行われたかについて考察された。

 『典礼憲章』は、第二バチカン公会議で最初に公布された文書であり、典礼を(英語や日本語など)現地の言葉で行うことを認めたり、信徒のより積極的な参加を奨励したりするなど、典礼に重要な変化をもたらした。

このカテキズムの中で、教皇は、公会議の父たちがなぜこの改革を推進することを決定したのか、その理由について考察されました。

 講話で教皇は、「信徒が典礼に積極的に参加し、神とのより深い関係に入るように」と勧められ、第二バチカン公会議が制定した典礼改革の重要性を強調。 「教会の儀式的な行為を通じて、救いの業の記念が祝われる一方で、救いの出来事に触れ、神との真の関係を体験する機会が与えられます」と述べられた。

 そして、「聖なる典礼の身振りや言葉は、この体験を実現するために不可欠。信徒の参加は受動的なものであってはなりません」と説かれた。

*伝統に根差す典礼改革の正しい理解は、今も残る極端な解釈や誤解をなくす

 また教皇は、この改革への願いが「突然生じたものではなく、20世紀初頭以来、歴代の教皇による行動や公表された文書の中にすでに明らかになっていた」と指摘。 例として、教皇ピオ11世が1928年に公布した(注:教会礼拝および聖歌・宗教音楽に関する)使徒憲章『Divini cultus』、教皇ピオ12世が聖週間の特定の儀式の時間を再調整した決定、あるいは聖ヨハネ23世が1960年に発布した教皇勅書『Lubricarium instrumentum』などを挙げられた。

 「したがって、第二バチカン公会議によって推進された典礼改革は、教会の生きた伝統にしっかりと根ざしているのです… これを正しく理解することは、公会議後の時期に教会の特定の分野で生じ、残念ながら今日でも時折見られるような”乱用”―改革そのものの根底にある原則の一部が極端に解釈されたり、誤解されたりしている―を拒絶することにつながるのです」と述べられた。

 

*使徒的教会を現す典礼を守り、促進することは司教と司祭の責任

 

教皇は続けて、『典礼憲章』が、「典礼は私的な儀式ではなく、教会による祝典」という点を強調していることを指摘。

「教会とは、『一致の秘跡』、すなわち、司教の下で結ばれ、秩序づけられた聖なる民のことです。したがって、典礼の規範を尊重しつつ、高貴な簡素さを放ち、それによって唯一、聖なる、カトリックかつ使徒的な教会を現す典礼を守り、促進することは、司牧者たち、すなわち司教たちだけでなく、一人ひとりの司祭にとっても第一義的な責任です」と強調された。

そして、 「そのような典礼は、福音宣教のための根本的な手段ともなり、公会議が教えているように、私たちが自らを捧げることを学び、キリストの仲介を通じて、神との一致、そして互いとの一致において完全なものとなるための、恵みの道具となるでしょう」と語られた。

 

*神性と人間性の両方の表現

 改革の理由を理解するために、教皇は、1962年10月に当時のミラノ大司教で後の教皇パウロ6世となるジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ枢機卿が、自身の教区の信徒たちに送った手紙を引用された。

 その中で枢機卿は、典礼が「『言語』であり」、「神の教えを伝える手段」であり、「神との対話における声」であることから、「神性と人間性の両方を真摯に表現するもの」と言明。「信徒たちは『もはや沈黙し、受動的なままでいることはできず、そうあってはならない』」と記していた。なぜなら、「『彼らの肉体的な存在は、霊的な不在と両立し得ない』」からだ。

 教皇は、このような考えが『典礼憲章』の48項にも反映されている、と指摘された。同項では、教会は信徒に対し、典礼に「部外者や沈黙する傍観者」として参加するのではなく、むしろ「自分が何をしているかを自覚し、敬虔な心と全面的な協力をもって、この神聖な儀式に加わる」ことを望んでいると強調。そうすることで信徒たちは「日々、神との、また互いとの、ますます完全な一致へと導かれ、ついには神がすべてにおいてすべてとなる」ことができる、と述べている。

*典礼は世紀を超えて生き続ける存在、時代に即して変化する

 教皇は、これらの言葉が「典礼の価値に対する新たな認識」を示しており、それによって典礼が「『神の命が私たちに伝えられる神聖な交わりの第一の源』として輝きを放つ」ことを可能にした、とされ、この確信から、「聖書のテキストや祈りをより親しみやすいものにし、典礼の順序を簡素化する必要性が生まれたのです」と説かれた。

 そして、「典礼は世紀を超えて生き続ける存在であることから、常に発展と変化にさらされてきた… その形態は各時代の必要に応じて改められてきました。第二バチカン公会議もまた、伝統の遺産を最大限に尊重しつつ、典礼をより身近なものにするために、典礼書の改訂が必要であると判断したことは、驚くべきことではありません」と指摘された。

 教皇は、『典礼憲章』21項を引用する形で、この憲章が「神によって定められた不変の要素」と、「時間の経過とともに変更される『可能』であるだけでなく、『すべき』である」人間的な要素とを区別していることに言及。

 したがって、「典礼のテキストや儀式は、それらが象徴する聖なる事柄をより明確に表現し、信徒がそれらを容易に理解し、共同体としてふさわしい形で、完全かつ積極的に参加」できるよう、変更されることがあるのです」と語られた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年8月27日