
(2026.8.19 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
19日の水曜恒例一般謁見で、教皇レオ14世は「第二バチカン公会議を学び直す」一環としての『典礼憲章』に関する連続講話を続けられ、今回は、「典礼における教会音楽」について考察された。
そして、「教会音楽の究極の目的は、『典礼憲章』が示している通り、『神の栄光と信徒の聖化』(第六章「教会音楽」112項の最後)、神を賛美し、信徒が聖性において成長するのを助けることにある」と強調された。
講話で教皇は、典礼憲章が「普遍教会の音楽の伝統は、諸芸術の他の優れた表現の中でも、計り知れない価値を持つ宝庫を成している」(同112項の初め)と述べていることに言及。
「聖歌は、典礼の付随的なものではなく、典礼行為そのものに属するもの。なぜなら、聖歌は祈りに声を与え、教会の信仰を表現し、交わりを深め、信徒たちが祝われている神秘により深く入り込むのを助けるからです」と説かれた。
*祈りと信仰の表現
そして教皇は、「典礼において聖歌を歌い、音楽を奏でることは『祈ること』を意味し、『祝われている神秘への積極的な参加を通じて、自分の心を兄弟姉妹や神の心と調和させること』を意味します」とされた。
さらに、「音楽が祈りの感情的な側面を表現する」として、聖アウグスティヌスの次の言葉、「Cantare amantis est(歌うことは愛する者のもの)」を引用され、 「これは、とても重要です。なぜなら、それは恵みを通じた神の働きに対して心を開き、その働きによって心が形作られることを可能にするからです」と語られた。
教皇はまた、「歌は交わりを育む」とされて、「声の調和を通じて、人々の間の違いを乗り越え、すべての人を神の賛美の中に一つに集めることで、心の結びつきに寄与します。それゆえ、歌は教会の顕現となり、教会の本質に属する交わりの、感覚的に捉えられる現れとなるのです」と強調された。
*聖歌は会衆全体で歌われる場合、高貴かつ簡素、演奏しやすく、理解が容易である必要
続けて教皇は、「典礼行為の不可欠な一部として、聖歌が深遠な神学的意義を持つためには、一定の要件を満たす必要がある」と指摘。
要件の第一として、「流行や個々の作曲家の特定の感性を超えて、あらゆるレベルにおいて、祝われている典礼の瞬間に最もふさわしいものに合致していなければなりません… その形式、とりわけ旋律について、特に会衆全体が歌うことを意図している場合には、高貴かつ簡素であり、音楽的品質が高く、かつ演奏しやすいものである必要があります」と述べられた。
そして、同じ理由から、「聖歌は、適切かつ深遠であると同時に、容易に理解できるものであり、主に聖書、典礼書、そして教会の霊的伝統に立脚すべきです」とされ、「これには慎重な見極めが必要であり、典礼憲章が信徒の積極的な参加についていかに考察しているか」について注意を促された。
*公会議は、グレゴリオ聖歌を重視る一方で他の形態の聖歌も排除していない
また教皇は、公会議が、グレゴリオ聖歌を非常に重要視する一方で、「典礼から他の形態の聖歌を排除してはいない」ことを指摘した。
公会議がオルガンについて「その音色が教会の儀式に輝きを加え、人々の心を神とより高きものへと向かわせることができる伝統的な楽器であるため、ラテン教会において高く評価されるべきである」と言明したことに注意を向け、「他の楽器についても、聖なる用途に適しているか、または適応可能である限り認められる」と述べられた。
*作曲家は、典礼音楽が芸術的な質のみによって判断されないことに留意して
教皇は、「聖楽の作曲家たちは、教会の音楽的遺産を知り、それを保存し、現代の感性や様々な文化的伝統を尊重しつつ、典礼に奉仕する新たな作曲のインスピレーション源とするよう召されています」とされた。
そして、聖ヨハネ・パウロ二世教皇が、典礼作曲の尊厳と卓越性を保証するために、「礼拝を、醜い様式、不快な表現形式、そして祝われている偉大な行為にふさわしくない、霊感に欠ける音楽的テキストから浄化すること」の必要性を強調していたことに注意を向けられると同時に、「作曲家は、典礼音楽が芸術的な質のみによって判断されるものではないことを、心に留めねばならない」と指摘された。
また教皇は、「聖なる儀式のために意図された音楽は、典礼の特定の要件にも合致する必要がある」とされ、それが「テキストに厳密に従い、意図された典礼の瞬間に適合し、儀式の身振りや性格を適切に反映しなければならないこと」を改めて強調された。
*音楽家や歌い手に、常にしっかりとした典礼教育が必要