◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」⑯『典礼憲章』1ー典礼は教会を支え、その信仰を表現する

(2026.5By Deborah Castellano Lubov) 

 教皇レオ14世は20日の水曜恒例一般謁見で、連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」を続けられた。今回からテーマを、これまでの『教会憲章』から『典礼憲章』に移され、まず、「典礼は信徒を支えること」、そして「あらゆる聖体祭儀が、祈りにおける教会の真の顕現となること」を強調された。

 講話の冒頭で教皇は、「キリストご自身が、教会の神秘、すなわち神の聖なる民の内なる源であり、十字架上で刺し貫かれた御脇から生まれたものです。聖なる典礼において、御霊の力によって、キリストは今もなお働き続けておられます。キリストは、御自身の花嫁である教会を聖化し、父なる神への御自身の捧げ物と結びつけておられるのです」と語られた。

 

*典礼のたびに私たちは、キリストの神秘に浸されている

 

 続けて教皇は、典礼憲章を起草するにあたって、第二バチカン公会議の参加者たちが「単に典礼の改革でなく、教会を構成し一つにする生きた絆、すなわち『キリストの神秘』を教会が熟考し、深く理解するように導こうとしたこと」を念頭に、「典礼は、この神秘のまさに核心に触れるもの。教会がキリストからその命そのものを受け取るための場であり、時であり、文脈でもあるのです… なぜなら、典礼において私たちの贖いの業が成し遂げられるからであり、それによって私たちは選ばれた子孫、王なる祭司、聖なる国民、神がご自身のために獲得された民となるからです」と説かれた。

 そして、「20世紀の過程で教会が経験した、聖書的、教父的、そして典礼的という三つの刷新によって示されているように、問題の『神秘』は、曖昧な現実を指すのではなく、神の救いの計画を指すものです。したがって、キリスト教の神秘とは、キリストの受難、死、復活、栄光化を含む過越の出来事であり、それは、典礼において秘跡的に私たちに現存する出来事なのです」と強調。

 また教皇は、「御名によって集められた人々と共に典礼に参加するたびに、私たちはこの神秘の中に浸されている… キリストご自身が教会の神秘の内的源泉です」と述べられた。

*キリストは今も教会を聖化され続けている

 教皇はさらに、「聖なる典礼において、聖霊の力によって、キリストは今も働き続けておられる。キリストは、御自身の花嫁である教会を聖化し、御父への御自身のご奉献と結びつけておられます… キリストは、宣教される御言葉、秘跡、司式を行う司祭、集う共同体、そして何よりも聖体の中に現存されるキリストご自身が、その全く唯一無二の司祭職を行使しておられます」と指摘。

 聖アウグスティヌスが、聖体を祝う際、教会は「主の御体を受け入れ、受け入れたものとなる」と述べたことを挙げ、「教会は、キリストの御体となり、御霊における神の住まい。私たちの贖いの業は、私たちをキリストに似せ、交わりの中で私たちを築き上げるものです」と語られた。

 

 

*儀式と祈りを通じて達成される交わり

 また教皇は、「聖なる典礼において、この交わりは、儀式と祈りを通じて達成されます… 教会の儀礼性は、『祈りの法は信仰の法(lex orandi, lex credendi)』というよく知られた格言に従い、教会の信仰を表現すると同時に、教会のアイデンティティを形作るもの」、さらに「宣べ伝えられる御言葉、秘跡の祝典、身振り、沈黙、空間―これらすべてが、父によって集められた民、すなわちキリストの体、聖霊の神殿を表し、形作っているのです」と指摘。

 「したがって、あらゆる祝典は、祈りにおける教会の真の顕現となる。これは、聖ヨハネ・パウロ二世が、典礼憲章の公布から25周年を記念して発表された使徒的書簡Vicesimusquintus annusの中で述べられた言葉です」と語られた。

*典礼は、教会の活動の頂点

 教皇は続けて、「典礼は、キリストの神秘に仕えるものであり、そのことによって、典礼が『教会の活動が向けられる頂点…のすべての力が流れ出る泉』と定義されてきた理由を理解できます… 確かに、教会の活動は、典礼だけに限定されるものではありませんが、説教、貧しい人々への奉仕、人間の現実への寄り添いといった、教会のあらゆる活動は、この『頂点』に向かって収束していくのです」と指摘。

 その一方で、「典礼は、信徒たちを、主の過越の神秘に絶えず新たに浸すことによって、支えています… そして、御言葉の宣教、秘跡の祝典、そして共同の祈りを通じて、信徒たちは、信仰への献身と使命において、活力を与えられ、励まされ、新たにされるのです」とされ、「言い換えれば、信徒たちの典礼への参加は、同時に『内的』であり『外的』でもある。これは典礼が、倫理的かつ霊的な力動の中で、日常生活の至る所に具体的な形で展開されるよう求められていることを意味する。そうして祝われる典礼は、日々の生活へと翻訳され、祝典の中で体験されたことを具体化できるような、信仰に満ちた生き方を信徒たちに求めるのです」と説かれた。

 

 

*典礼は私たちをキリストの命へと導く

 それゆえ、「私たちの人生は、神に受け入れられる聖なる生ける供え物となり、霊的な礼拝を全うするもの。 典礼は日々、人々を主の聖なる神殿として築き上げ、すべての人を歓迎する開かれた共同体を形成するものなのです… 聖霊に満たされた典礼は、私たちをキリストの生涯へと導き、私たちをキリストの体とし、そのあらゆる側面において、キリストにおける全人類の統一のしるしを表します」と説かれた。

*誰もが「婚礼の宴」に招かれている

 教皇レオ14世は、フランシスコ教皇が典礼的養成に関する使徒的書簡『Desiderio desideravi」(私は切に願っていた)』で語られた「世界はまだそれを知らないが、誰もが子羊の婚礼の宴に招かれている」という言葉を想起しつつ、「神の招きがすべての人々に及ぶこと」を強調された。

 そして講話の最後に、信徒たちに対し、「典礼における儀式、象徴、身振り、そして何よりもキリストの生ける御臨在によって、私たちの内面が形作られるよう共に歩むよう二」と呼びかけられ、典礼憲章をもとに、今後数週間にわたって、典礼について共に探求し続られることを明らかにされた。

*聖ヨハネ・パウロ二世の回勅『Dominum et Vivificantem』発表から40年

 講話の後、教皇は、ポーランドからの巡礼者たちへの挨拶の中で、今週でちょうど40年前に、聖ヨハネ・パウロ二世教皇が『教会と世界における聖霊』に関する回勅『Dominum et Vivificantem』を発表されたことを指摘された。回勅の中で聖ヨハネ・パウロ二世は、聖霊が「心の光」であり、私たちに「善と悪をその正体通りに見分ける」力を与えてくれる、と述べておられる。

 「聖霊降臨を待ち望む今、神の聖霊に、その賜物をもって人間の良心を目覚めさせ、不正、暴力、戦争から遠ざけ、地の面を新たにしてくださるよう願い求めましょう!」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2026年5月20日